ご相談→ご報告
前回の記事で、積読状態を少しでも解消すべく、次に何を読めばいいかと尋ねましたところ、いろいろと選んで下さいました。ここで改めてお礼申し上げます。有難うございます。
そんな訳で、今日から以下の順序で読んでいこうと思ってます。
- 西脇順三郎『野原をゆく』(講談社文芸文庫)
- スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』(国書刊行会)
- 荒俣 宏『サイエンス異人伝』(講談社ブルーバックス)
- 講談社文芸文庫編『素描 埴谷雄高を語る』(講談社文芸文庫)
- ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』(新潮社)
自分では思いつかなかった順番です。西脇とミランダ・ジュライに挟まれて、SF的なものが入るというのが、なかなかいいですね(自画自賛に近いです)。ちなみに、埴谷雄高という人自体がすでにSF的です。
それぞれ読み終わったら、読書メモみたいなものをここで書いておこうと思ってます。では早速、西脇順三郎先生にお会いしてこようと思います。
ご相談
相変わらず、積読状態の書籍が増える一方である。そして、いざ1冊読み終わると、次にどの書籍を読んでいいか途方にくれているのが現状。
そこで、見て下さっている方々にご相談。以下に列挙する書籍の中で、小生が次に読んだらいいんじゃない?という書籍を選んでもらおうと思いついた。
- 小島信夫『靴の話/眼』(講談社文芸文庫)
- 西脇順三郎『野原をゆく』(講談社文芸文庫)
- 講談社文芸文庫編『素描 埴谷雄高を語る』(講談社文芸文庫)
- 中村光夫『谷崎潤一郎論』(講談社文芸文庫)
- 時実象一『デジタル・アーカイブの最前線』(講談社ブルーバックス)
- 荒俣 宏『サイエンス異人伝』(講談社ブルーバックス)
- 瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書)
- 成田龍一『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書)
- 『吉行淳之介娼婦小説集成』(中公文庫)
- 唐澤太輔『南方熊楠』(中公新書)
- 『ジーン・ウルフの記念日の本』(国書刊行会)
- スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』(国書刊行会)
- 河原理子『戦争と検閲』(岩波新書)
- ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』(新潮社)
- トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』(新潮社)
う〜ん、どれもこれも大物感がビシビシ伝わってくる。それゆえ、この中から次に自分が何を読みたいのか、まったく選べない・・・(それにしても、講談社の書籍が突出している)。路頭に迷っている感じですので、よろしかったら、選んでいただけるととても嬉しいです。
再読すること
今年の年頭に掲げた目標のひとつに「再読」があった。今年も残りあと3ヶ月になろうとしているが、今のところこの目標は達成できる見込みはない。そもそも再読をあまりしないから、古きをたずね、新しきを知るために掲げた目標だった。
振り返れば、小説の場合、再読をする作品はごくごく限られている。村上春樹の一連のエッセイ(ここ5、6年再読してない)、Raymond Chandler "The Long Goodbye"(2年に1回は必ず再読)、石川淳の「普賢」、そして漱石のいわゆる三部作。これだけだ。
再読はまた会いたくなる人のようなものだと思っている。そのことを敷衍すれば、村上春樹やChandler、石川淳はまあわからないでもない。けれども何故漱石の三部作なのか、よくわからない。先日、書店で岩波文庫の棚を眺めていたら、装丁が変わった『それから』と『門』があった。最近、「朝日新聞」で再連載されていたためだ。そしてこの文庫を購入。また読みたくなってしまったたまだ。家には『漱石全集』があるにもかかわらず、である。
思うに、漱石の作品世界はものすごく身近ではないけれども、まったく異質とは思わない、ファンタジーと現実の端境にある感じが好きなのかもしれない。喜怒哀楽が激しい訳ではないし(漱石よりもちょっと前の尾崎紅葉『多情多恨』はなかなか激しい)、淡々と話が進んでいるようで、実は水面下ではドロッとしたなにものか(漱石が敬愛していたW. Jamesの影がちらつく)が100年後を生きている僕には親近感がわくのだろう。漱石と村上春樹の作品世界は近似しているように感じる。直感なので、具体的かつ論理的に説明するのは難しいけれども。
そんな訳で、これから『それから』を再読しようと思っている。「久しぶり!」と爽やかに挨拶する感じではなく、「あ、ご無沙汰」みたいな感じで。
祈りとまとめと
ひと月近く、そろそろひと区切りつける必要があるかなあと思っていた。今はとりあえず、締め切りや納期に追われ、そこを目指してひたすら進んでいる。そういう時は意外に気が楽。あまり余計なことを考えずに済むからだ。けれども、ふと振り返ると、このままでいいのだろうか?と思う自分もいる。
仕事は僕にとって祈りみたいなもので、先述したように、あまり余計なことを考えなくていいからだ。仕事をすることで、余計な感情を一旦棚の上にあげながら、自分の愚かさやどうしようもない部分を成仏できるような錯覚に陥らせてくれる。けれども、それだけでは前へは進めないということもわかってきた。そういうことがわかるというのが、年齢を重ねてよい唯一の点かもしれない。
この駄文で述べたいことは、祈り続けていても、いつか必ず自分で前へ進むための区切りをつけなくてはならないということ。祈っている時は、僕個人のことで言えば、前へ進んでいるという感じはあまりしていない。けれども、ひとつひとつ小さな区切りをつけながら、河原の石を積み上げていくように仕事をやり続ける。その一連の行為のなかに「祈り」があるとすれば、結果的には前へ進んでいるんだろうな、と思えてくる。
ここのところの天候みたいにどんよりと曇っている感じが、僕のこころの中に小さく渦巻いている。なので、この文章は真夜中の3時半すぎに書いている。朝になって、恥ずかしくなかったらポストしよう。だいたい、文章を書いて人様に見られるということは、おしなべて恥ずかしいことなのだから。
仕事とコミュニケーション(3)
case3:コミュニケーションと段取り
最後に現在進行形の話を。来年3月に刊行予定の書籍の準備をそろそろはじめないといけないと思っている。けれども、急な仕事の対応に終われ、ついつい準備ができないでいる。自分の頭の中では、段取りのイメージが出来上がっているのに、それを実行できないでいる。
これって、自分のヤル気と「めんどくせーなー」という気持ちとのせめぎ合いが原因なのだろう。その克服のために何ができるかといえば、結局は場数を踏むしかないのと、刑事じゃないけれども、足で稼ぐしかないと実感している。
昨日、お世話になっているある資料館の学芸員の方とお話をしてきた。ちょっと教えてほしいことがあったからだ。話は脱線し、仕事論みたいな話になった。その学芸員の方は「やっぱり最後は企画力。そのためにも遊び心は重要」と再三述べていた。ではそのためには?となった時、やっぱり「コミュニケーション」と言っていた。話の中からヒントがいつも生まれるとも言っていた。
辞去した後、あれこれ考えていた時、やっぱり仕事は「段取り八分」だよなあと思った。段取りがうまくいけば、仕事はまず成功したもの。そしてコミュニケーションも段取りの一貫。そんなことをあまり意識しない方がいいのだろうけど、普段から心がけていた方がいいということ。
ところで、このことを恋愛でできれば、かなりモテモテなんだろうけど、これがなかなかうまくいかないんすよねぇ・・・。
ふたつの岸辺で
今年は戦後70年ということもあって、関連するラジオ特番と書籍をつくる機会にそれぞれ恵まれた。ラジオ特番の取材の中で、一組の老夫婦と知り合う機会に恵まれた。
昨秋のこと。いつも世話になっている方へ相談に行った際紹介されたのがきっかけだった。お宅へうかがうと、大きな梅の木と手入れされた畑があった。出迎えてくれた老夫婦はとても上品そうな印象だった。
お会いする前に、世話になっている方から、老夫婦が住んでいる地域の歴史をまとめた資料を渡されていたので読んでおいた。ここは戦中は陸軍の飛行学校と飛行場があり、戦後すぐに引揚者や旧軍人などが入植した開拓地だった。
お会いした時、ご主人と奥様ともに83歳。ご主人は元小学校校長。陸軍の少年飛行兵になるべく、14歳で現在住んでいる場所にあった旧陸軍の飛行学校にいた。最初はご主人の話をあれこれ2時間ほど聴いていた。貴重な資料も見せていただいた。学校の先生だったとのことで、しっかりとしたお話ぶりだった。
帰り際、奥様から「私は朝鮮から引き揚げてきたんですよ」という話を聞いた。そうだったんだとしか思わなかった。ピンとこなかったというのが正直な感想だった。
この取材の後、戦後70年特番の話がペンディングになってしまい、放送するかどうか未定となってしまった。その老夫婦をはじめ、何人かに取材した人には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかし、今年の4月に急にやっぱり放送するという話になり、朝鮮半島からの引き揚げてきた人たちを取り上げることになった。今まで取材した人たちは取り上げるのを諦めた。そして2組はプロデューサーから紹介された。その時、昨秋取材した奥様のことを思い出し、再び取材することにした。今度は奥様だ。
改めて事情を説明すると、大変喜んで下さりまた協力的だった。奥様は13歳の時、今の北朝鮮の咸興で敗戦を迎え、引き揚げる途中で、発疹チフスで生死の境を彷徨った。その後、38度線を越える前に追い剥ぎにあいながらも、なんとか日本へ引き揚げることができた。日本へ引き揚げた後、父親の郷里から学校へ通うも、経済的困難で退学。父親が開拓農場の事務員だったこともあり、開拓地へ入植。上品な雰囲気からは想像できないほど、苦労に苦労を重ねてきた。
色々あったが、なんとか無事に番組をつくり放送することができた。先日、お礼と同録を渡すためにお宅へお邪魔したとき、とても喜んでくださった。この人たちのために完成できてよかったと心底思った。そして僕の目的はひとつ達せたかなとも思った。
帰り際、いつものようにご主人が家の前を通る道路まで出てお見送りしてくれた(奥様は足の具合がよくないのだ)。大きく手を挙げ、左右安全であることを確認する姿を見るたびに、在りし日の陸軍少年飛行兵だった面影が見え隠れする。そして、その姿を見るたびに、なんだかせつなくなってしまう。あと何度この方々にお会いできるのだろう、という寂漠とした気持ちがあるからかもしれない。
仕事とコミュニケーション(2)
case2:五里霧中でライティング
次のケースは、つい昨夜まであったこと。東京の某制作会社から、国内の世界遺産を紹介する冊子の原稿作成の仕事での話。小生はライターさんに書いてもらった原稿をチェックしたり、場合によっては手直しをしたりするなどの仕事を頼まれていた。最初の校正原稿をもらった時、正直驚いた。こちらが指示したことがあまり修正されていない。さらに、クライアントからよくわからない修正指示の文書が送られ、これを見て手直しをしてくれと言われた。
ここで早めに電話なりして、東京の制作会社の担当者と直接話をしながら確認すればよかった。会ったこともない人間との仕事は往々にしてある。メールだけだと、相手の意図することを汲み取るのは難しいことが多い。話せばわかる、じゃないけれども、話せば、どういう人間なのかある程度は想像できる。今回のように、細部に神経を使う仕事だとなおさらと痛感した。
最終的に、一度電話をした。こちらはどうしていいかわからない指示があったからだ。締め切りが迫っている中、相手の担当者は締め切りに間に合わせたいから、こちらが提案をすればそれに乗るしかないだろう。となると、こちらがいかに先手を打って受け身ではなく、主導権を握りながら仕事を進めていくかが鍵となる。コミュニケーションひとつで、いかようにも変わる。当たり前のことを今更ながらに実感した。(続)