輝く!積読状態の書籍アワード2015(下)
ヴィジュアル本で想像の旅を巡る
さて、今年はヴィジュアル本をそれなりに購入しました。仕事の一環というのがほとんどでしたが、気になってしまう基準というのがあります。それはエディトリアル・シップがきちんとしている書籍かどうかです。そう考えると、上記の3冊はそれぞれに個性的です。その中で選んだのが・・・
- 作者: 細萱久美,野川かさね
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2015/11/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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何が素晴らしいって、まず幾何学模様と円形に収めた写真という表紙デザイン、そしてどこかなつかしくなるようなフォント。函館の魅力を満遍なく紹介しているところもいいのですが、フィルムで撮影したの?と思わせるような写真の質感がいいです。こういう書籍を丁寧につくりたいと思わせてくれた一冊です。じっくり味わいたいので、まだ積読状態にしております。
新書で辿る思考の迷宮
今年も例年通り、新書をたくさん購入しました。だいたい岩波か中公に偏っていますので、ノミネートされた書籍も自ずとこういうことになってます。そんな中、選ばせていただいたのが・・・
- 作者: 湯浅浩史
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/09/19
- メディア: 新書
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ヒョウタンって不思議です。「瓢」とも昔は言っておりました。実をくりぬいて乾燥させると器になります。ヒョウタンに入った水をうまそうに飲む場面に出くわすとワクワクしたものです。そんなヒョウタンのことをよく知らないなあと思って購入。身近なモノの歴史を新書というハンディな形態で読めるというのは有難いことです。
変化球も
例年だと、人文系で歴史・哲学関係の書籍を多く購入するのですが、今年はちょっと毛色が違うものも購入していました。よく言えば好奇心と言えるのでしょうが、関心事が散漫なだけとも言えます。そんな中、迷いに迷って選んだのがこちら。
- 作者: カル・ラウスティアラ,クリストファー・スプリグマン,山田奨治(解説),山形浩生,森本正史
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2015/11/26
- メディア: 単行本
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タイトルと表紙にちょっとびっくりしてしまいますが、中身はいたって真面目です。しかも読みやすい!著作権を考えるとき、どうしてもオリジナリティーor創造性ということを考えてしまいます。しかしそんなものってあるんでしょうか?本書はそんな疑問に対して、ファッション、料理、コメディーなどから「パクリ」がいかに創造性に寄与しているかを例証しています。「パクリ」といいましたが、問題はアレンジです。ひとひねりです。それは作品はみんなのものという「パブリック・ドメイン」の問題に行き着きます。11月下旬に出版された本書はもっと話題にのぼってもいいように思ってます。
(おまけ)いただきもの
- 『竹のめざめ』(栃木県立美術館)
- 『おじさんの顔が空に浮かぶ日』(宇都宮市美術館)
今年は実に多くの書籍をいただきました。その中で、読了してはいないけれども、パラパラとめくっている(これもまた積読状態を指します)のが上記の2冊。『竹のめざめ』はこの企画を担当した若き学芸員さんよりいただきました。竹工芸が専門なのですが、彼女の工芸への愛情を深く感じました。『おじさんの〜』はこのプロジェクトに参加した方より頂戴しました。このプロジェクトについては、こちらを参照ください。メディアにも多数取り上げられました。
それでは、2015年積読状態の書籍大賞は・・・?
長らくのお付き合い有難うございます。それでは、大賞の発表です。大賞に選ばれましたのは、こちらの書籍です!
風貌・私の美学 土門拳エッセイ選 酒井忠康編 (講談社文芸文庫)
- 作者: 土門拳,酒井忠康
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/04/10
- メディア: 文庫
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これまでの部門から選ばないんかよーって言われそうですが、本書の引き寄せられ方は尋常ではなかったのでこちらを選びました。なにせ、ページをめくって出てくるのが、赤痢の病原菌を発見した志賀潔のどアップ写真。土門拳という人の真骨頂がよーくわかります。これら撮影した人たちをめぐるエッセイを読みたくならない訳がありません。そんなことで、土門拳に改めて魅了された年末でした。
正月は積読状態の書籍を読むのを楽しみに過ごしたいと思うのですが、3日から仕事なのでどうなることやら・・・。皆さま、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。
輝く!積読状態の書籍アワード2015(上)
えー、振り返れば、もう年の瀬。相変わらずの貧乏稼業ということで、慌ただしく過ごしております。
さてさて、年末恒例の積読状態の書籍から振り返る2015年。購入した書籍は104冊。そのうち、積読状態の書籍は63冊。実に6割ほど買ったのに読んでないことになります。その中から、今年はどんな書籍を購入し、どの書籍がアツかったを各部門別にノミネート3作品ずつ挙げて決めようかなと思います。
小説を読もうとした痕跡を確認しよう
ここのところ、めっきり小説が読めなくなってしまったのですが、毎年1冊は小説を読もうと努力しています。とはいえ、結局今年もほとんど小説を読めませんでした。その中で、本年のこの部門で賞を獲得したのは・・・
- 作者: ミランダジュライ,Miranda July,岸本佐知子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2015/08/27
- メディア: 単行本
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僕の中では、ダントツに「次は必ず読んでやる!」と頭の片隅に居続けた1冊でした。ちなみに、次点にはジーン・ウルフ御大。同じ国書刊行会から大作《ウィザード・ナイト》4部作も無事翻訳されましたので、今回ノミネートした短編集を早く読もうと思ってます。
批評からの誘惑
そもそも批評本ってどんなジャンルなのかな?と考えてしまった1年のような気がしてます。とはいえ、若い頃に比べて、その手のものを読まなくなったのですが、それでも読みたい!と思わせてくれた書籍というのは貴重だなと思ってもいます。
そういえば、書籍との出会いには、ラジオや新聞、インターネットなどのメディアからの情報と書店などで偶然(ばったり)出会うという2種類があると思ってます。そこから見ると、大澤と中村は前者、バルトは後者にあたります。中村とバルトは学生の頃から親しんでいたので、大澤の書籍との出会いは、メディアからの情報とはいえ、偶然的なものです。
という訳で、本年のこの部門で賞を獲得したのは・・・
- 作者: 大澤聡
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/01/21
- メディア: 単行本
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結構話題になってましたよね。それ以上に、戦前期における日本の論壇&文壇と近未来的なブック・デザインが素晴らしかったです。この2つは思いのほか相性がいいことに気づかされたのも収穫。ちなみに、1/3は読んでます。
歴史を考える
昨今、近現代史というジャンルがアツいなあと思ってます。その一方で、学問としての人文系が危機に立たされています(もうずっとですけれども)。歴史を学ぶというのは、一方通行ではなく、身体で吸収し歩きながら考えるトレーニングだなと痛感しています。全体主義的志向をもつ国家はそういうトレーニングは忌み嫌いますが、これは我が身を守るためと思い怠らないようにしようと思ってもいます。そんな訳で、この部門で選ばせていただいたのは・・・
- 作者: 鶴見良行,中村尚司
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1999/02
- メディア: 単行本
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一昨日、年末恒例の古書市で出会いました。実は今夏に読んだ『岩波新書で「戦後」を読む』で鶴見良行が取り上げられていまして、ずっと気になっていたのです(厳密には10年以上)。かれは歩きながら考え、言葉を紡いできた行動の人でした。その鶴見良行フィールドワークの集大成が「ナマコ」でした。ナマコから日本のみならず、アジアを見つめています。この書籍を眺めると、つい背筋はまっすぐになります。
戦争がもたらした遺産
今年は戦後70年ということもあって、実に多くの関連書籍が出ました。その中でも、立ち読みしてみて、こりゃあ出色だなあと思ったまま積読してしまっているのがこちらの3冊。いずれも着眼点が素晴らしいなと思ってます。その中で悩みに悩んで選ばせていただいたのは・・・
戦争と平和: 〈報道写真〉が伝えたかった日本 (コロナ・ブックス)
- 作者: 白山眞理,小原真史
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2015/07/21
- メディア: 単行本
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報道写真というジャンルがいかに戦争に加担し、そしてよくも悪くも戦後日本の歩みを写し出し、時にアメリカ的平和をもたらしてきたか、ヴィジュアルとともによくわかる1冊です(といっても、ちゃんと読んでいません。なんせ、積読状態ですので・・・)。〈続く〉
読書日記(1)
◯月◯日、西脇順三郎『野原をゆく』読了。70の坂を登ろうとする西脇が、戦前から戦後にかけてあちこちで書いてきた随筆をまとめたもの。「四季の唄」「私の植物考」「詩人の憂鬱」「漂泊」「永遠への帰郷」の5つのセクションに収められている。ちゃんど編集されている。中でも「四季の唄」は、西脇が昭和22年に発表した第二詩集『旅人かへらず』の背景がわかるような内容だ。解説を書いた新倉俊一によると、西脇はこの詩集で「主題としての自然を再発見」したという。西脇が「再発見」した「自然」とは、何も雄大で崇高で畏敬の念を抱くような自然ではない。もっと身近で、もっと僕たちに寄り添っている。
そこ(影向寺《ようごうじ》)を辞して山を下りまた山へのぼり、晩秋の香りをあびて、二人はアンパンをかじりながら歩いて暗くなってから日吉の先へ出た。もはや秋の七草の時ではない。ただ藪にはりんどうの花や、名の知れぬ赤い実ばかりで、すすきだけが白い穂をなびかしていた。そのすすきの美は特に淋しみであった。その日から、二人とも熱を出した。(「夏から秋へ」《昭和16年》)
西脇の詩にしても随筆にしても、基本的に「軽み」が漂う。そして自分(たち)と風景がひとつになりながらも、決して交わらない独特の緊張感を保ちながらゆらゆらと包み込んでいる。西脇の随筆や詩を読むときにいつも感じるのだが、心持ちが自由になる。それが西脇のユーモアと言語感覚がもたらす恵みだ。それは、かれがささやかな日常を大切にしていたからだと思う。
私はそば屋にはいって醤油くさいウドンをたべてから、レンギョウとボケの咲いている砧(きぬた)の村を過ぎ、太子堂の竹藪のなかを通って、三軒茶屋に出て、「リリー」というタバコを買って渋谷に帰った。
こんなつまらないことのほうが、人間という生物の地球上の経験として、私には相当重大な思出となろう。(「春」《昭和44年》)
- 作者: 西脇順三郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1990/05/02
- メディア: 文庫
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ご相談→ご報告
前回の記事で、積読状態を少しでも解消すべく、次に何を読めばいいかと尋ねましたところ、いろいろと選んで下さいました。ここで改めてお礼申し上げます。有難うございます。
そんな訳で、今日から以下の順序で読んでいこうと思ってます。
- 西脇順三郎『野原をゆく』(講談社文芸文庫)
- スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』(国書刊行会)
- 荒俣 宏『サイエンス異人伝』(講談社ブルーバックス)
- 講談社文芸文庫編『素描 埴谷雄高を語る』(講談社文芸文庫)
- ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』(新潮社)
自分では思いつかなかった順番です。西脇とミランダ・ジュライに挟まれて、SF的なものが入るというのが、なかなかいいですね(自画自賛に近いです)。ちなみに、埴谷雄高という人自体がすでにSF的です。
それぞれ読み終わったら、読書メモみたいなものをここで書いておこうと思ってます。では早速、西脇順三郎先生にお会いしてこようと思います。
ご相談
相変わらず、積読状態の書籍が増える一方である。そして、いざ1冊読み終わると、次にどの書籍を読んでいいか途方にくれているのが現状。
そこで、見て下さっている方々にご相談。以下に列挙する書籍の中で、小生が次に読んだらいいんじゃない?という書籍を選んでもらおうと思いついた。
- 小島信夫『靴の話/眼』(講談社文芸文庫)
- 西脇順三郎『野原をゆく』(講談社文芸文庫)
- 講談社文芸文庫編『素描 埴谷雄高を語る』(講談社文芸文庫)
- 中村光夫『谷崎潤一郎論』(講談社文芸文庫)
- 時実象一『デジタル・アーカイブの最前線』(講談社ブルーバックス)
- 荒俣 宏『サイエンス異人伝』(講談社ブルーバックス)
- 瀬川拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書)
- 成田龍一『加藤周一を記憶する』(講談社現代新書)
- 『吉行淳之介娼婦小説集成』(中公文庫)
- 唐澤太輔『南方熊楠』(中公新書)
- 『ジーン・ウルフの記念日の本』(国書刊行会)
- スタニスワフ・レム『短篇ベスト10』(国書刊行会)
- 河原理子『戦争と検閲』(岩波新書)
- ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』(新潮社)
- トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』(新潮社)
う〜ん、どれもこれも大物感がビシビシ伝わってくる。それゆえ、この中から次に自分が何を読みたいのか、まったく選べない・・・(それにしても、講談社の書籍が突出している)。路頭に迷っている感じですので、よろしかったら、選んでいただけるととても嬉しいです。
再読すること
今年の年頭に掲げた目標のひとつに「再読」があった。今年も残りあと3ヶ月になろうとしているが、今のところこの目標は達成できる見込みはない。そもそも再読をあまりしないから、古きをたずね、新しきを知るために掲げた目標だった。
振り返れば、小説の場合、再読をする作品はごくごく限られている。村上春樹の一連のエッセイ(ここ5、6年再読してない)、Raymond Chandler "The Long Goodbye"(2年に1回は必ず再読)、石川淳の「普賢」、そして漱石のいわゆる三部作。これだけだ。
再読はまた会いたくなる人のようなものだと思っている。そのことを敷衍すれば、村上春樹やChandler、石川淳はまあわからないでもない。けれども何故漱石の三部作なのか、よくわからない。先日、書店で岩波文庫の棚を眺めていたら、装丁が変わった『それから』と『門』があった。最近、「朝日新聞」で再連載されていたためだ。そしてこの文庫を購入。また読みたくなってしまったたまだ。家には『漱石全集』があるにもかかわらず、である。
思うに、漱石の作品世界はものすごく身近ではないけれども、まったく異質とは思わない、ファンタジーと現実の端境にある感じが好きなのかもしれない。喜怒哀楽が激しい訳ではないし(漱石よりもちょっと前の尾崎紅葉『多情多恨』はなかなか激しい)、淡々と話が進んでいるようで、実は水面下ではドロッとしたなにものか(漱石が敬愛していたW. Jamesの影がちらつく)が100年後を生きている僕には親近感がわくのだろう。漱石と村上春樹の作品世界は近似しているように感じる。直感なので、具体的かつ論理的に説明するのは難しいけれども。
そんな訳で、これから『それから』を再読しようと思っている。「久しぶり!」と爽やかに挨拶する感じではなく、「あ、ご無沙汰」みたいな感じで。
祈りとまとめと
ひと月近く、そろそろひと区切りつける必要があるかなあと思っていた。今はとりあえず、締め切りや納期に追われ、そこを目指してひたすら進んでいる。そういう時は意外に気が楽。あまり余計なことを考えずに済むからだ。けれども、ふと振り返ると、このままでいいのだろうか?と思う自分もいる。
仕事は僕にとって祈りみたいなもので、先述したように、あまり余計なことを考えなくていいからだ。仕事をすることで、余計な感情を一旦棚の上にあげながら、自分の愚かさやどうしようもない部分を成仏できるような錯覚に陥らせてくれる。けれども、それだけでは前へは進めないということもわかってきた。そういうことがわかるというのが、年齢を重ねてよい唯一の点かもしれない。
この駄文で述べたいことは、祈り続けていても、いつか必ず自分で前へ進むための区切りをつけなくてはならないということ。祈っている時は、僕個人のことで言えば、前へ進んでいるという感じはあまりしていない。けれども、ひとつひとつ小さな区切りをつけながら、河原の石を積み上げていくように仕事をやり続ける。その一連の行為のなかに「祈り」があるとすれば、結果的には前へ進んでいるんだろうな、と思えてくる。
ここのところの天候みたいにどんよりと曇っている感じが、僕のこころの中に小さく渦巻いている。なので、この文章は真夜中の3時半すぎに書いている。朝になって、恥ずかしくなかったらポストしよう。だいたい、文章を書いて人様に見られるということは、おしなべて恥ずかしいことなのだから。