SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

写真整理(2)

足尾

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6月下旬、数年ぶりに足尾にある古河掛水倶楽部へ行く。ここは、かつての古河鉱業の迎賓館として利用され、今なお古河の福利厚生施設として利用されている国登録有形文化財。中は撮影禁止だったのが残念。ここで美味しいコーヒーがいただける。
 
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古河掛水倶楽部入口横にあるレンガ造りの建物は「旧足尾鉱業所
事務所付属倉庫」。この赤レンガ倉庫は今なお使われているとか。
 
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古河掛水倶楽部の横から庭へ行くことができるが、その途中にこ
んな小屋のような建物が。中へ入ると・・・
 
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戦時中、防空壕として利用されていた。
 
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中はひんやりしてはいるが、狭くてちょっと怖かった。
 
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この防空壕跡を抜けると、古河掛水倶楽部の和洋折衷様式の真骨頂を垣間見
ることができる。2階のテラスからは、すぐそばを流れる渡良瀬川を望むこ
とができる。上流部なので、とてもきれいだった。
(続)

写真整理(1)

片品〜日光

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5月下旬。沼田経由で片品から金精峠から中禅寺湖へ。途中、片
品村の「花咲の湯」で「アスパラまつり」なるイベントが。ステ
ージには地元で活動している女性の歌手がうたっていた。

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金精峠を抜け、中禅寺湖畔をぐるりと走る、日光二荒山神社中宮
祠が雲ひとつない青空だった。奥日光の5月は素晴らしい。

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6月初旬、日光は滝尾古道へ。東照宮美術館付近で子鹿がツツジ
の葉をはみはみしていた。一見するとかわいらしい光景だが、実
は深刻な自体を物語っている。以前は、ここまで鹿は降りてこな
かった。けれども、かれらが棲む場所が少なくなり、餌を求めて
ここまで降りてきた訳である。
 
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石畳を歩き、急な石の階段を登ると、運試しの鳥居と滝尾神社の
楼門が見えてくる。弁柄色と紅葉の鮮やかな緑色のコントラスト
が美しかった。
 
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その後、滝尾神社を下り、日光二荒山神社へ向かうべく長い石の
階段を登ると、役の小角と侍鬼が祀られた輪王寺行者堂がある。
その階段下には、首のない石仏がある。明治期の廃仏毀釈のなご
りだろう。
 
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6月中旬。仕事で奥日光にある英国大使館別荘を見学。7月開館の前に静かな環境で観ることができたのがよかった。あいにくの天候だったが、テラスから眺める中禅寺湖は絶景。英国の外交官だったアーネスト・サトウがこよなく愛した風景がここにはある。
(続)

GW

 今更ながら、GWに出かけた(仕事含む)ところで気ままに撮った写真を備忘録的に。

桐生の近代化遺産

@桐生明治館(旧群馬県衛生所)

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 明治11(1878)年竣工の擬洋風建築で国の重要文化財。館内には、明治期に使われていたさまざまなモノが置いてあった。館内にある喫茶店には、何故か寄贈されたLPレコードがたくさん置いてあったのが印象的だった。

桐生市近代化遺産絹撚記念館(旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟)

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 大正6(1917)年建築の洋風石造建造物。大谷石造り洋風2階建てで、外面はセメント漆喰、内面は漆喰仕上げとなっている。館内はなかなか趣があり、ここの館長は名物といっていいかも。
 

織姫山@足利

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 足利市街地を一望できる織姫山。銅像のおっさんが誰なのか、確認するのが面倒でわからない。山頂には喫茶店があり、ガレットが食べられます。そして山頂にさらに盛り上がった丘がある。足利市指定文化財にもなっている「機神山(はたがみやま)山頂古墳」だ。東日本大震災前は上に登れたのだが、現在は崩落の危険があるのと、文化財保護で登ることができない。
 

精進料理@日光山内

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 地元紙の企画特集の取材立会いでいただいた。精進料理というと、ヴォリュームはそんなにないだろうと思っていたが、さにあらず。勝手に決めつけてごめんなさい。深い満足感が得られる。写真は上から「生湯波」、「港揚」(海苔がのった鰻の蒲焼きを擬している揚げ物)と「擬製豆腐」、「山椒ご飯」「赤だし」「ごぼうの天ぷら」。
 座っていた左隣の扉に何があるんだろうと思って担当の方に開けてもらうと、中から不動明王像が。食事をしながら話していたことを不動明王に聞かれたと思うと、ちょっと気まずくなったので、取材後ちゃんとお参りした。

Gozo & Dylan(Part Ⅱ)

21世紀のAmerican Popular Musicを奏でているDylan

 今月(4月)に入って、日本の主要都市でツアーを行ってきたDylan. 一緒に行ったM氏から予めset list&音源を送ってもらっていたので、だいたいこんな感じの曲をやるんだなーとはわかっていた。けれども、月並みな表現だが、生演奏による音の塊を受けながら聴くのは驚きだ。Dylan版ムード歌謡といったテイストの曲も結構あったのだが、基本的にはRock 'n Roll. 月日の流れとともに姿形は違えども、半世紀前にacousticではなくelectric guitarを持ってステージに現れた時とbaseは何ら変わっていない。それがわかったのが、まず嬉しかった。
 変わっていないというのは、何も進化も変化もないということを意味しているのではない。これは、アンコールでやった"Browin' in the Wind"を聴いてもらうとわかるはずだ。しゃがれた声で「これ、新曲なんだけど聴いて」と言われてもまったくわからない。2016年時点での"Browin' in the Wind"。その時々で最新の音楽潮流をとらえながら、再解釈する。Dylanほど接頭辞の"re"が似合う人はいない。
 

時空を往還する軽やかさ

 吉増剛造Bob Dylan二人に共通しているなあと感じたのは、今ある地点を軸に過去と未来を自由に往還している点だ。その姿はとても軽やかに見えた。これを円熟という言葉で片付けるのは違う。大きく息を吸い込んで、ゆっくり息を吐くように言葉を奏でる2人。かれらの身体から発せられる力を同じ空間で共有できたのは、何よりも得難い経験だった。この2日間の出来事を、僕はゆっくりと今整理している。そうしないと、次に進めないような気もしている。
 

Dylan Revisited ~All Time Best~(完全生産限定盤)

Dylan Revisited ~All Time Best~(完全生産限定盤)

メランコリー・ムード

メランコリー・ムード

Gozo & Dylan(Part Ⅰ)

 どうもご無沙汰しております。皆様、お元気だったでしょうか?こちらは相も変わらず、俗事にもまれにもまれた日々を過ごしております。が、24・25日の2日間は、僕にとってのコペルニクス的転回をもたらしてくれた2日間でした。主人公は、吉増剛造Bob Dylan.
 なぜこの2人なのか?まず吉増剛造から。24日、足利市立美術館で開催中の企画展「画家の詩、詩人の絵」のイベントとして、本企画展にも出品している詩人のトークセッションに参加した。吉増の名は、学生時代から常に目にしてきた人である。そして、僕の好きな田村隆一のエッセイにも度々登場する詩人ということもあって、その人の姿を間近で見られるまたとないチャンスだと思ったためだ。ちょうど、講談社現代新書から、彼の自伝も出たこともあった。
 そして、Dylan。翌25日、渋谷はBunkamura オーチャードホールでのライブ。今年75になるDylanの「今」の姿と声を聴きたくて観てきたいってもいい。
 

時代の雰囲気を受け止めながら、過去と今を往還する

 約60名ほどの客席のところへ入ってきた吉増は、とにかく笑顔が素敵な人だった。時に眼光鋭い詩人の顔になるのだが、僕は彼の笑顔にグッと心を掴まれた。イヤホンを耳にし、レコーダーを回しながら話す吉増*1。そうした彼の日常の営みに、僕たちも参加しているというのに素朴な驚きと面白さを感じつつ話に耳を傾けていた。
 吉増は声とリズムを大切にする詩人である。そして、「今」を生きる時代の匂いをかいだり肌で感じながら文字を刻んでいる詩人である。話を聞きながら、そのことを痛感できたのが大きな喜びだったし衝撃だった。何よりも、懐古趣味的に過去を振り返るのではなく、今と往還しながら「今」を生きている。そして、あちらこちらから聞こえてくる時代の声を、自らの身体で増幅させながら言葉を刻み続けている。
 振り返って、今の僕に足らなかったのは何だろう?それは、あまりにも当たり前に思えていた「音」のある日常と空気感への感受性だ。
 吉増剛造の現在進行形の姿を見、声を聞けたのは、とにかく僕に衝撃をもたらした。(続)
 

画家の詩、詩人の絵 - 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

画家の詩、詩人の絵 - 絵は詩のごとく、詩は絵のごとく

*1:彼が現在行っているプロジェクトというか日々の営み

大晦日ら2日までの出来事

今週のお題「年末年始の風景」
 
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          豆柴だワン!

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明けました

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おめでとうございます。写真は昨年同様、寓居から南東方向に拝した初日の出。遠く筑波山へと続く稜線がオレンジと青のグラデーションできれいに描かれているようです。
 
 さて、平成28(2016)年がはじまりました。昨年4つの目標をここで掲げました。けれども達成できたのは1.5個しかなかった・・・。うーん、まずい。今年も懲りずに目標を掲げます。

  • 偏見なくとびこんでいける勇気
  • 仕事とプライベートの使い分けを上手に
  • 適度な運動
  • 小説10タイトルの再読(和洋問わず)

あれっ?昨年とあまり変わらないじゃんという気もします。これにはちょっとした理由があります。昨年は新たなステージがはじまったという感じが後半あたりにひしひしと身体に伝わってきました。20代にコツコツと蓄えてきた貯金が底をつきつつあり、新たなことをはじめないといけなくなっていると痛感しています。そんな時期だからこそ、4つ目に掲げた「偏見なくとびこんでいける勇気」が必要だなと思ってます。音楽しかり、読書しかり、興味しかり。アイディアはそんなに沢山沸くわけでもないので、物事を少しずらしながら楽しんでいけるといいなと思ってます。
 そして、仕事とプライベートの境目がなくなっていたのが昨年でした。気がつけば仕事ばかり。気分転換をもっとうまくやっていきたいです。そのためにも(そして身体のためにも)適度な運動。面倒だと思わず、楽しくやりたいです。
 最後は昨年も掲げました「小説10タイトルの再読」。昨年は、漱石のみの再読。気がつけば、積読状態の書籍が200冊近くある中、読書時間の確保もさることながら、どの小説を再読するか考えないといかんなあと思ったりしてます。
 結局のところ、「偏見なくとびこんでいける勇気」と「仕事とプライベートの使い分けを上手に」すること、この2つが2016年の大きなテーマになりそうです。
 
 そんな訳で、本年もどうぞよろしくお願い致します。

輝く!積読状態の書籍アワード2015(下)

ヴィジュアル本で想像の旅を巡る

  • 芳賀日出男『日本の民俗 祭りと芸能』(角川文庫)
  • 二村 悟(監修)『ニッポン産業遺産の旅』(平凡社
  • 細萱 久美『函と館』(平凡社

 さて、今年はヴィジュアル本をそれなりに購入しました。仕事の一環というのがほとんどでしたが、気になってしまう基準というのがあります。それはエディトリアル・シップがきちんとしている書籍かどうかです。そう考えると、上記の3冊はそれぞれに個性的です。その中で選んだのが・・・

函と館

函と館

何が素晴らしいって、まず幾何学模様と円形に収めた写真という表紙デザイン、そしてどこかなつかしくなるようなフォント。函館の魅力を満遍なく紹介しているところもいいのですが、フィルムで撮影したの?と思わせるような写真の質感がいいです。こういう書籍を丁寧につくりたいと思わせてくれた一冊です。じっくり味わいたいので、まだ積読状態にしております。
 

新書で辿る思考の迷宮

 今年も例年通り、新書をたくさん購入しました。だいたい岩波か中公に偏っていますので、ノミネートされた書籍も自ずとこういうことになってます。そんな中、選ばせていただいたのが・・・

ヒョウタンって不思議です。「瓢」とも昔は言っておりました。実をくりぬいて乾燥させると器になります。ヒョウタンに入った水をうまそうに飲む場面に出くわすとワクワクしたものです。そんなヒョウタンのことをよく知らないなあと思って購入。身近なモノの歴史を新書というハンディな形態で読めるというのは有難いことです。
 

変化球も

 例年だと、人文系で歴史・哲学関係の書籍を多く購入するのですが、今年はちょっと毛色が違うものも購入していました。よく言えば好奇心と言えるのでしょうが、関心事が散漫なだけとも言えます。そんな中、迷いに迷って選んだのがこちら。

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

パクリ経済――コピーはイノベーションを刺激する

タイトルと表紙にちょっとびっくりしてしまいますが、中身はいたって真面目です。しかも読みやすい!著作権を考えるとき、どうしてもオリジナリティーor創造性ということを考えてしまいます。しかしそんなものってあるんでしょうか?本書はそんな疑問に対して、ファッション、料理、コメディーなどから「パクリ」がいかに創造性に寄与しているかを例証しています。「パクリ」といいましたが、問題はアレンジです。ひとひねりです。それは作品はみんなのものという「パブリック・ドメイン」の問題に行き着きます。11月下旬に出版された本書はもっと話題にのぼってもいいように思ってます。
 

(おまけ)いただきもの

  • 『竹のめざめ』(栃木県立美術館)
  • 『おじさんの顔が空に浮かぶ日』(宇都宮市美術館)

 今年は実に多くの書籍をいただきました。その中で、読了してはいないけれども、パラパラとめくっている(これもまた積読状態を指します)のが上記の2冊。『竹のめざめ』はこの企画を担当した若き学芸員さんよりいただきました。竹工芸が専門なのですが、彼女の工芸への愛情を深く感じました。『おじさんの〜』はこのプロジェクトに参加した方より頂戴しました。このプロジェクトについては、こちらを参照ください。メディアにも多数取り上げられました。
 

それでは、2015年積読状態の書籍大賞は・・・?

 長らくのお付き合い有難うございます。それでは、大賞の発表です。大賞に選ばれましたのは、こちらの書籍です!

これまでの部門から選ばないんかよーって言われそうですが、本書の引き寄せられ方は尋常ではなかったのでこちらを選びました。なにせ、ページをめくって出てくるのが、赤痢の病原菌を発見した志賀潔のどアップ写真。土門拳という人の真骨頂がよーくわかります。これら撮影した人たちをめぐるエッセイを読みたくならない訳がありません。そんなことで、土門拳に改めて魅了された年末でした。
 
 正月は積読状態の書籍を読むのを楽しみに過ごしたいと思うのですが、3日から仕事なのでどうなることやら・・・。皆さま、本年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

輝く!積読状態の書籍アワード2015(上)

 えー、振り返れば、もう年の瀬。相変わらずの貧乏稼業ということで、慌ただしく過ごしております。
 さてさて、年末恒例の積読状態の書籍から振り返る2015年。購入した書籍は104冊。そのうち、積読状態の書籍は63冊。実に6割ほど買ったのに読んでないことになります。その中から、今年はどんな書籍を購入し、どの書籍がアツかったを各部門別にノミネート3作品ずつ挙げて決めようかなと思います。
 

小説を読もうとした痕跡を確認しよう

 ここのところ、めっきり小説が読めなくなってしまったのですが、毎年1冊は小説を読もうと努力しています。とはいえ、結局今年もほとんど小説を読めませんでした。その中で、本年のこの部門で賞を獲得したのは・・・

僕の中では、ダントツに「次は必ず読んでやる!」と頭の片隅に居続けた1冊でした。ちなみに、次点にはジーン・ウルフ御大。同じ国書刊行会から大作《ウィザード・ナイト》4部作も無事翻訳されましたので、今回ノミネートした短編集を早く読もうと思ってます。
 

批評からの誘惑

 そもそも批評本ってどんなジャンルなのかな?と考えてしまった1年のような気がしてます。とはいえ、若い頃に比べて、その手のものを読まなくなったのですが、それでも読みたい!と思わせてくれた書籍というのは貴重だなと思ってもいます。
 そういえば、書籍との出会いには、ラジオや新聞、インターネットなどのメディアからの情報と書店などで偶然(ばったり)出会うという2種類があると思ってます。そこから見ると、大澤と中村は前者、バルトは後者にあたります。中村とバルトは学生の頃から親しんでいたので、大澤の書籍との出会いは、メディアからの情報とはいえ、偶然的なものです。
 という訳で、本年のこの部門で賞を獲得したのは・・・

批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇

批評メディア論――戦前期日本の論壇と文壇

結構話題になってましたよね。それ以上に、戦前期における日本の論壇&文壇と近未来的なブック・デザインが素晴らしかったです。この2つは思いのほか相性がいいことに気づかされたのも収穫。ちなみに、1/3は読んでます。
 

歴史を考える

 昨今、近現代史というジャンルがアツいなあと思ってます。その一方で、学問としての人文系が危機に立たされています(もうずっとですけれども)。歴史を学ぶというのは、一方通行ではなく、身体で吸収し歩きながら考えるトレーニングだなと痛感しています。全体主義的志向をもつ国家はそういうトレーニングは忌み嫌いますが、これは我が身を守るためと思い怠らないようにしようと思ってもいます。そんな訳で、この部門で選ばせていただいたのは・・・

鶴見良行著作集〈9〉ナマコ

鶴見良行著作集〈9〉ナマコ

一昨日、年末恒例の古書市で出会いました。実は今夏に読んだ『岩波新書で「戦後」を読む』で鶴見良行が取り上げられていまして、ずっと気になっていたのです(厳密には10年以上)。かれは歩きながら考え、言葉を紡いできた行動の人でした。その鶴見良行フィールドワークの集大成が「ナマコ」でした。ナマコから日本のみならず、アジアを見つめています。この書籍を眺めると、つい背筋はまっすぐになります。
 

戦争がもたらした遺産

 今年は戦後70年ということもあって、実に多くの関連書籍が出ました。その中でも、立ち読みしてみて、こりゃあ出色だなあと思ったまま積読してしまっているのがこちらの3冊。いずれも着眼点が素晴らしいなと思ってます。その中で悩みに悩んで選ばせていただいたのは・・・

戦争と平和: 〈報道写真〉が伝えたかった日本 (コロナ・ブックス)

戦争と平和: 〈報道写真〉が伝えたかった日本 (コロナ・ブックス)

報道写真というジャンルがいかに戦争に加担し、そしてよくも悪くも戦後日本の歩みを写し出し、時にアメリカ的平和をもたらしてきたか、ヴィジュアルとともによくわかる1冊です(といっても、ちゃんと読んでいません。なんせ、積読状態ですので・・・)。〈続く〉

読書日記(1)

 ◯月◯日、西脇順三郎『野原をゆく』読了。70の坂を登ろうとする西脇が、戦前から戦後にかけてあちこちで書いてきた随筆をまとめたもの。「四季の唄」「私の植物考」「詩人の憂鬱」「漂泊」「永遠への帰郷」の5つのセクションに収められている。ちゃんど編集されている。中でも「四季の唄」は、西脇が昭和22年に発表した第二詩集『旅人かへらず』の背景がわかるような内容だ。解説を書いた新倉俊一によると、西脇はこの詩集で「主題としての自然を再発見」したという。西脇が「再発見」した「自然」とは、何も雄大で崇高で畏敬の念を抱くような自然ではない。もっと身近で、もっと僕たちに寄り添っている。

そこ(影向寺《ようごうじ》)を辞して山を下りまた山へのぼり、晩秋の香りをあびて、二人はアンパンをかじりながら歩いて暗くなってから日吉の先へ出た。もはや秋の七草の時ではない。ただ藪にはりんどうの花や、名の知れぬ赤い実ばかりで、すすきだけが白い穂をなびかしていた。そのすすきの美は特に淋しみであった。その日から、二人とも熱を出した。(「夏から秋へ」《昭和16年》)

 
西脇の詩にしても随筆にしても、基本的に「軽み」が漂う。そして自分(たち)と風景がひとつになりながらも、決して交わらない独特の緊張感を保ちながらゆらゆらと包み込んでいる。西脇の随筆や詩を読むときにいつも感じるのだが、心持ちが自由になる。それが西脇のユーモアと言語感覚がもたらす恵みだ。それは、かれがささやかな日常を大切にしていたからだと思う。

私はそば屋にはいって醤油くさいウドンをたべてから、レンギョウとボケの咲いている砧(きぬた)の村を過ぎ、太子堂の竹藪のなかを通って、三軒茶屋に出て、「リリー」というタバコを買って渋谷に帰った。
こんなつまらないことのほうが、人間という生物の地球上の経験として、私には相当重大な思出となろう。(「春」《昭和44年》)