SIM's memo

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六本木には素敵な魔女がいる

 仕事で2年ぶりに六本木へ行った。六本木は馴染みがないところである。日比谷線沿線でも、学生の頃、都立中央図書館がある広尾には毎週のように通っていた。しかし次の駅の六本木には行ったことがなかった。通算で今回で3回目だ。
 
 今日お邪魔したのは、今つくっている番組の取材のため。といっても、既に構成もナレーション原稿もある程度かたちになってしまっている。しかし、今あえる関係者にすべてあっておいた方がいいと思ったので会った次第。急な連絡にもかかわらず、こころよく対応して下さった。正直、もうご高齢で生きているかどうかもわからない、と他の関係者から話を聞いていた。なので、当初はあまり積極的に探して話を聞こうとは思わなかった。
 その方とは、六本木は東京ミッドタウンとなりにあるシャンソン専門のお店「シャンソニエ ピギャール」のマダム。事前に電話で話した時年齢を聞いたら、なんと82歳と
のこと。話し声は大きく元気そうだった。番組の主役であるお父様を彷彿とさせる感じが電話からも伝わってきた。実際あってみて、さらに驚いた。どう考えても、年齢よりも20近く若く見える。開口一番そのことを伝えると(思えば、女性に対して失礼なことをした)、「そうなの。魔女だっていわれるの(笑)」とおっしゃって、つい納得してしまった。余談だが、リンク先にその方のお写真があるが、8年近く前のものだが、まったく変わっていなかった。
 
 お父様のことの話よりも、その方の半生を聞いた方が面白かったので(それが目的でもあったのだが)、1時間余り聞いていた。津田塾を出た後、勤めをしていたが性に合わないと思ったので、得意の英語を活かして、自宅のあった白金台で英語塾をひらく。結構評判をよび、こちらで生計を立てていた。その一方、昔から歌うことが好きだったので、英語の歌を主に個人レッスンを受けていた。それがある時、知り合いが勝手に伝説のシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションに申し込んで、おそるおそる受けにいったら見事合格。これは真面目にやならいとと思い、シャンソンやるならということでアテネ・フランセでフランス語を学びはじめる。20代後半のことである。そして、日本シャンソン界の草分け的存在である深緑夏代に師事。そこから、英語塾の先生とシャンソン歌手という二足のわらじを履き続ける。そして、1978年、今のお店を六本木にオープン。英語塾のかたわら、シャンソンが歌えるお店も開くというのだからスゴいの一言だ。現在は英語塾は閉校し、第1・第3土曜の午後にシャンソンのレッスンを開いている。人が好き、好きなことに夢中になるというところが若さの秘訣なのだろう。
 
 ここまで、ざっと書いてみて、お父様と道こそ異なれ、歩みは重なるところが多い。お父様も大正のはじめ、神田に音楽教室を開き繁盛、その後は趣味が高じて特許・考案の道を歩みながら、作詩・作曲活動を続けていた。血筋といえば、血筋なのだろう。しかし、そんな父親とはほとんど数える位しかあわなかった、という。
 
 この後用事があるというので、急いでお店を後にした。4月初旬には、毎年恒例の「六本木シャンソンフェスティバル」が控えているし、7月13・14日のシャンソンの祭典「第51回パリ祭」にも出演するとのこと。目が少女のようにキラキラ輝いていたのが印象的だった。
 日がすっかり暮れた強風の六本木は、マスクでもしていないといられない程の独特の雰囲気があった。花粉症でよかった。
 
【余談】
 そういえば、その方が若き日に深緑夏代門下生たちと「ジャンヌ・エトワール」名義でレコードを発表していた。1968年のこと。2008年、コロムビア創立100周年プロジェクトの一環で、小西康陽監修でCD化されている。あとでサインをもらってこようかな。
 

ニューヤング・コーラス

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