SIM's memo

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昔の新聞を読む

 仕事&論文作成の7割は資料を読むことにあてられる。内容にもよるが、新聞を読むことは結構多い。とりわけ、古い新聞記事は、今ではちょっとびっくりするような事件や記事の書き方もあって楽しい。試みに、手許にある新聞1面をみてみよう。
 
 昭和6(1931)年5月21日、東京朝日新聞夕刊2面の記事。3分の1が広告である記事面は、パッとみて思いのほか写真が多いのに驚く。大きく紙面を割いている記事は、明治大学が野球の六大学リーグにおけるボーク問題で審判部と対立、脱退するのではというもの。まあ、これは普通である。しかし夕刊2面の本領は、どうしようもない事件の記事たちである。
 まず、司法省の職員が証拠品である貴金属を安物とすり替えて弁償を要求した事件、「五十八名から音楽を種の詐欺」という記事(今回これを読みたかった)。音楽教室の先生あるいは事務員を募集し、希望者から保証金をもらい、二週間経過したらつかえないと言ってクビにし、保証金は返還しなかったという詐欺容疑。あるいは、「天理教に凝り、からだに火を放つ 神様からのお召と」という出来事。あるいは復縁を別れた妻にせまった男が断られたことに逆上して妻を切りつけた事件、誘拐された青年が依然として行方不明という記事、あるいは小学校教員と音楽学校の学生による心中など。とにかく、色々な事件がある。たまたま読んだ紙面でこれなのだから、今とほとんど変わっていない。人間のやることなんて、そんな急激に進化する訳じゃないことを痛感。
 そして、一番の傑作が無銭飲食の記事。面白いのと短いので、全文引用してみる。

十九日夜九時頃日本橋区室町の飲食店花村で主人と旧知だとてしたたか飲食した大阪生れの彫刻師吉岡春吉といふ男、無一文とあつて一枚の紙を求めて自来也*1の絵を描き横に「何事も夢で御座る」と認めこれで勘弁して呉れと申し出た、きゝたゞすと実は花村の先代とは旧知だったが無一文では困ると思つてつひに無銭飲食として掘留署に引渡された旧字体は新字体に変換)

無銭飲食でつかまった話は今でもたまに目にする記事だ。しかし、今の無銭飲食とは違うのは、食べて逃げるのではなく、「無一文では困ると思つて」「自来也」の絵を描いて「何事も夢で御座る」と「認めた」点。店の先代とはおそらく旧知ではなかったのだろうことは、その文句でわかる。
 この記事を読んだ時、当時の花村には申し訳なかったが笑ってしまった。無銭飲食して、挙げ句の果てに自来也の絵を描いて「何事も夢で御座る」って書かれれば、「おいっ!」と喰い気味に突っ込みたくもなる。
 とにもかくにも、昔の新聞記事は面白い。当時の人たちはこれらの記事を読んでどう感じたのだろう?ぼくのように笑ったのだろうか?また、こんなことがあったのか、と呆れたのか。いずれにせよ、当時の新聞は立派な娯楽だったんだなあ、と実感した。
という訳で、こちらの曲を思い出したでリンクを貼っておこう。

The Byrds - All I Have Are Memories (Instrumental)

*1:江戸時代後期の読本などに登場する架空の盗賊・忍者。