SIM's memo

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ちょうど2年前

 2011年3月11日午後2時46分。忘れることのできない一日。ちょうどその時、市役所近くにいた。今まで経験したことのない強く長い揺れ。1分以上続いただろうか。慌てて外へ出ると、不安そうな人、にやついている人、様々いた。断続的な揺れが続く中、地震発生から20分近くになって、ようやく災害警報を知らせる放送。慌てて車で実家に戻ろうとしたのだけど、あちこちで停電しており、当然ながら信号機が機能してないところがほとんど。交叉点の真ん中で警官が交通整理をしている姿と東の空に今まで見たことのない、大きな石の塊ような重そうな雲が低く覆っていたのが忘れられない。
 
 ラジオ放送では、どうもぼくの実家あたりが大きな被害があるとのこと。家族に連絡するも、つながらない。少し苛立っていたら、母親から連絡あり皆無事だとのこと。猫たちは怖がって結局その日は家の中のどこかに隠れたままだった。
 被害がひどかったのは丘陵地との情報を得た。南北にのびるその丘陵地は、古い地層が続くところだった。後に今回の地震でその古い地層が動いて、多くの被害をもたらした。帰り道でもあったので、様子を見ておこうと思った。途中、大谷石で土台をつくったであろう小屋がつぶれていた。それが下の写真である。

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小屋のとなりにおばあさんが呆然と立っていた。話を聞くと、地震が起きた時、その小屋で作業をしていた。強い揺れが起き、小屋が壊れそうな音がしたので、慌てて飛び出したとたん、小屋が壊れたとのこと。向かいにある家の人たちは無事だった。
 当日の写真は実はこれだけした撮っていない。元々、カメラを構えるクセがあるのではないからかもしれなかったが、あちこちで似たような光景を見ていたら、写真を撮る気がなくなっていった、というのが正直なところである。
 
 日没頃に帰宅。実家のあるところは震度6強だったが、元々地盤がしっかりしていたところだったので、塀もほとんど崩れていなかった。自分の部屋へ行くと、本棚からすべて本が落ちていた。賞状を飾ってある額縁もおち、ガラス板の破片が散乱していた。賞状はすべてぼくのではなく妹弟たちのものである。少し腹立たしくなりながら、急いで破片を拾った。停電していたので、暗くなったら見えなくなるからだ。幸い、発電機があったのでそれで地下水をくみ上げ、シャワーを浴びた。しかしガソリンを燃料にしている発電機だったので限りはあった。食糧も、当時母親がスーパーマーケットの惣菜部門で働いていたので、弁当等確保できていた。不安はあったけど、その日は散乱する本に囲まれながら、自分の部屋でぐっすり眠ることができた。余震は断続的に続いていた。後にも先にも、あんなにぐっすり眠ることができたのは、あの日だけだ。知人の女性とセックスしている夢をみたからかもしれないと思ったが、おそらく違うだろう。
 
 地震から一ヶ月後、隣の公園で桜が咲いていた。春先は晴れていても、空は霞がかっているのに、その日の空は写真の通り、真っ青だった。桜もキレイだった。あの地震以降、人生が変わったという人はかなりいると思う。ぼくの人生もあの地震以降、大きく変わっていった。
 
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