SIM's memo

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B:ブス?美人?、そして…

 美醜の判断は主観が多分にあるのでムズカシイ。カントはそこを「共通感覚:common sense」というマジック・ワードで切り抜けようとした。この言葉の背景には、人の感情というのは、決してその人独自に表出されるのではない。むしろ、社会性、血縁などの共同性などに起因し、そしてそれらを築き上げる感性にこそ求められる。…と柄にもない、難しい話はここまで。美醜を気にするのは洋の東西不変である。しかし、何をもって美醜とするかは、人それぞれ、時代によっても異なる。価値観は相対的である。
 
 僕はいわゆる、皆がキレイだ、美人だという人は好みではない。ちょっと個性的な感じのする顔立ちや雰囲気が好きである。にもかからわず、仲良くなったり、恋愛関係にしようとする人は、必ずしもそうではない。現に今だってそうである。美醜の判断は、今ではもっぱら面立ちなどによるのだろう。けれども、「雰囲気美人/美男子」なる言葉はある。これは面立ち以上に美人になれる訳ではない。男女問わずそうだ。
 「雰囲気美人/美男子」は一長一短になれる訳じゃない。現にぼくは努力を怠っているため、「雰囲気美男子」からかなりかけ離れている。…と今こうして書いてみたが、「かけ離れている」というのは、僕の判断(客観視しようとして判断)であって、他者からの判断ではない。ここに見えない大きな壁がある。他者は、「あなたは雰囲気美人/美男子だね」なんてまず言明しない。一対一では言明しない可能性が高いが、複数いるところだと、その場の雰囲気などで言明する可能性はある。となると、先の「共通感覚」の話ではないが、「場」にそういう判断を言明することを許容する雰囲気があれば、他者からの判断を得られる訳である。やはり、共同性の中で生き、そこでの関係性でいかようにも変化するのが人間である。美醜にとらわれているのも、その共同性という場や関係においてなのだろう。
 
 結局、またムズカシイ話をしている。これだから、オマエは「雰囲気美男子」になれないんだ、という声が遠くから聞こえてきた…。