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SIM's memo

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反=恋愛小説として 〜漱石『門』を読む(2)〜

Books Thoughts
御米という存在

 野中宗助の妻御米はどう描かれているのか。まずはこちらを読んでみよう。

「御茶なら沢山です」と小六が云つた。
「厭?」と女学生流に念を押した御米は、
「ぢや御菓子は」と云つて笑ひかけた。
「有るんですか」と小六が聞いた。
「いゝえ、無いの」と正直に答へたが、思ひ出した様に、「待つて頂戴、有るかも知れないわ」と云ひながら立ち上がる拍子に、横にあつた炭取を取り退けて、袋戸棚を開けた。(一の三)

宗助の弟小六が家に来た時のやりとりである。このやりとりを読む限り、御米はちょっとコケティッシュでかわいらしい女性に描かれているように感じる。
 続いて、こちらを読んでみよう。

「又ヒステリーが始まつたね。好いぢやないか小六なんぞが、何う思つたつて、己(おれ)さへ付いてれば」
論語にさう書いてあつて」
御米は斯んな時に、斯ういふ冗談を云ふ女であつた。宗助は
「うん、書いてある」と答へた。(六の二)

義弟の小六が自分(つまり御米)のことを「悪(にく)んで」いるのでは、と宗助に聞いた際のやりとりである。これだけの引用では、御米は少々感情的になりつつも、ひょいと冗談のようなことをいう女性のように受け取られるかもしれない。しかしながら、引用した箇所の前に、御米は「細い腮(あご)を襟の中へ埋めた儘、上眼を使つて」と描かれている。となると、一種の媚態を帯びたように聞いていたことになり、宗助が「又ヒステリーが始まつたね」という程、感情に翻弄されているとは思えない。ましては「斯ういふ冗談を云」える女性であるから、なかなか芯の強い女性なのでは、と思える。「冗談」を言うことで、御米は自己をいったん客観化した上で、精神を少しでも軽やかにする作業を半ば無意識に行っている。この身体的作業ができるか否かは重要である。
 
 『それから』の三千代と比べ、評価がいまひとつ低いように感じる御米だが、2つの箇所の引用だけから見ても、個人的には女性としての魅力が十分感じられる。御米が「其内には又屹度(きつと)好い事があつてよ。さうさう悪い事ばかり続くものぢやないから」と宗助を慰めるところなど、宗助の暗い側面に、そっと気遣いができる女性にも映る。こうした魅力は、単に御米が魅力ある女性という記号を帯びているからだろうか?僕はそうは思わない。むしろ、ある出来事に対してどれだけ自分自身の問題として引き受けてきたか、つまり出来事を「身体化」できたかどうかという差異の問題から生じているように感じる。ここが、宗助の悩みが根本的に解消できない要因のように思える。(続く)
 

門 (岩波文庫)

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