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SIM's memo

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反=恋愛小説として 〜漱石『門』を読む(3)〜

Books Thoughts
門をくぐれた御米、くぐれなかった宗助(1)

 もともと身体が丈夫ではない御米が、精神的疲労と緊張感から「発作」で寝込んでしまう場面がある。そこに至る伏線を箇条書きしておこう。

  • 深夜、大家の坂井家に盗みに入ろうとする泥棒の物音に過剰に反応する(七の二、三)
  • 「発作」(十一)→深い眠り(十二)
  • 三度の不幸(流産・死産)
  • 「子供が出来る見込はない」と宗助に泣きながら御米が話す(十三の四)
  • ある易者に「人に対して済まない事をした覚があ」るため子供が出来ないと言われる (十三の八)

御米の「発作」を境に、夫婦の過去が語られる。つまり、御米の身体が何らかのかたち(「発作」や「泣く」など)で過剰に反応した際、御米は自身のこころの奥底にある黒い沼へと降りていこうとする。そこへのアクセスとして「眠り」がポイントとなる。
 御米の「眠り」については、三度目に「胎児を失つた」後の「眠り」と「発作」の小康を得るために睡眠剤を服用されての「眠り」ではいささかニュアンスが異なる。前者はダンテ『神曲』における地獄巡りに近いのに対し、後者は自己という黒い沼へアクセスした後の仕上げのような意味がある。では、三度目に「胎児を失つた」後の「眠り」について見てみよう。
 御米は三度目に「胎児を失つた」後、このように解釈したと語られている。

自分が手を下した覚がないにせよ、考へ様によつては、自分と生を与へたものの生を奪ふために、暗闇と明海(あかるみ)の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であつたからである。斯う解釈した時、御米は恐ろしい罪を犯した悪人と己を見傚さない訳には行かなかつた。(中略)共に苦しんで呉れるものは世界中に一人もなかつた。御米は夫にさへ此苦しみを語らなかつたのである。(十三の七)

「胎児を失つた」共犯者(と敢えて言おう)とも言える夫にさえ、こうした気持ちを言わず、ひとり黒い沼へ降りるべく「三週間床の中で暮らした」のである。「床の中」では、常に「彼女の鼓膜は此呪咀(のろひ)の声で殆んど絶えず鳴つてゐた」日々でもあった。しかし、こうした状態もあまりにも辛かったので、外へぶらぶらしてみたが、「心に逼る不安は、容易に紛らせなかつた」。結局、「人の世を遠ざける様に、眼を堅く閉つて仕舞ふ」。とはいえ、この三週間後には、身体は「自からすつきりなつた」(十三の八)。以上の箇所では、具体的な「眠り」への言及はないものの、喪に服するように静かに身体と逃げつつも対話している様が感じられる。
 一方、「発作」前後における御米の身体をざっとみてみよう。大家の坂井家へ深夜入った泥棒の物音に対して鋭敏に感覚が反応する様から、やがて身体が半強制的に「発作」をもたらす。それから、医者が処方した睡眠剤で御米は深い眠りにつく。この時、御米がどういう精神状態だったのか、『門』では一切語られていない。ただ、なかなか目が覚めない妻に対して宗助がおろおろと不安になっている様が描かれている。しかし、注意したいのは、不安になって宗助が小六に頼んでふたたび医者を呼んでもらい、御米をみてもらい異状がみられないことを確認したとたん、「急に空腹になって「湯漬を四杯」食べた後、「御米の眼がひとりでに覚めた」点だ。ここでは、完全に地上の論理(つまり空腹である宗助)と地下にいる御米のコントラストが見て取れるだろう。同じ生理現象として「食欲」と「眠り」はある。しかしながら、「眠り」は自己の深い深いところへアクセスする。当然ながら、御米は(睡眠剤という他者の介入があったにせよ)ひとりで「眠り」を通じて黒い沼へ降りて行き、ひとりで戻ってきた。宗助は食事の用意を下女の清に依頼する。つまり、そこへアクセスするために誰か(ここでは清)を介している訳である。宗助が「ひとりで」己の身体を通じて黒い沼へ向き合おうとするのは、鎌倉へ参禅するところである。しかしこれも結局はうまくいかない。自己と向き合いきれなかったがためである。
 「発作」後、御米の不安定な心情等は描写されておらず、入れ替わるように宗助の不安が日に日に増大していく訳である。(続く)
 

門 (岩波文庫)

門 (岩波文庫)