SIM's memo

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水無月読書漫談

 表面上あまり思われない(見られない)のだが、実は6月はずっとこころが荒れていた。そして今もそれなりに荒んだこころもちでいる。そんな荒んぢまつたこころもちにもかかわらず、それなりに読書ができた。おそらく荒んでいるからだろう。ある意味、慶賀すべきであろう。という訳で、6月に読んだ本を簡単にレビュー。

フローベールはやっぱりスゴい

・小倉孝誠『「感情教育」歴史・パリ・恋愛』(みすず書房
 ふと『感情教育』の舞台となった1830〜50年代のパリについて気になったので読む。「歴史」「パリ」「恋愛」をキーワードに、フローベールの傑作『感情教育』の世界を紹介してくれている。ひとこと良書である。コンパクトサイズながら、歴史を描くこと、小説を書くことについても考察されている。
 
・G・フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫
 そんなフローベールの遺稿であり、未完の大作『プヴァールとペキュシェ』の一部となる予定だったもの。本人の意図とは別に、結果としてポストモダン的な作品となっている。というのも、文字通りに受け取ってはいけない作品だからだ。ひねりがあるというのではなく、ただただ現実を嘲笑しているだけのような気もする。エクリチュールってやつを徹底的にバカにすると、こういうスタイルになるのかもしれぬ。

『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)

『感情教育』歴史・パリ・恋愛 (理想の教室)

紋切型辞典 (岩波文庫)

紋切型辞典 (岩波文庫)


 

地下に蠢くフォークロア

・C・アウエハント『鯰絵』(岩波文庫
 ここのところ、山口昌男が亡くなってからというもの、改めて民俗学の巨人たちの業績を辿る機会がでてきた。そんな中、満を持しての復刊となったのが本書。著者はオランダの人類学者で柳田國男の弟子でもあった人。いろいろ言いたいことがあるのだが、当時の人びとが如何に諧謔的想像力をもっていたか、そして東日本大震災に際して江戸期からひっそりこっそり受け継がれていた(はずの)諧謔的想像力がどこで埋没してしまったのか、訳者のひとりでもある中沢新一の相変わらずの冷めたアツイ解説(褒め言葉ですよ)を読めばよーくわかる。
 
安藤礼二編『折口信夫対話集』(講談社文藝文庫)
 折口信夫は著作は難解だが、人物としては大変興味深い。なので対話集となると、折口の人柄が垣間みられるかなあと思ったのだが、いかんせん饒舌ではないのでなかなかもどかしい。しかし、脇をかためる(飽くまで折口が主役ですので)人たちの饒舌と折口のいささか遠慮がちな口吻はたのしい。中でも、谷崎潤一郎へのくいつきぶりは本書の白眉のひとつ。折口(というか、ここでは文学上のペンネームである釈迢空が相応しい)は終生谷崎をライバル視していたというのも興味深い。個人的には、西脇順三郎との対話と日夏耿之介とのやりとりと堀辰雄をめぐる小林秀雄の対話も忘れ難い(あくまでも堀辰雄にまつわる話のみ。小林との対話は退屈である)。
 
・村井 紀『南島イデオロギーの発生』(岩波現代文庫
 著者は一応民俗学をフィールドに研究活動をしている。本書では、その民俗学ではあまり問うていないままだった柳田國男のアキレス腱を俎上に批判をしている。つまり、柳田國男の挫折を韓国併合における農事政策ととらえ、山人幻想(と敢えて言おう)から「日本人」のルーツを琉球にみるという転回をつぶさに批判する。その舌鋒は鬼気迫るものがある。とはいえ、いささか空回りしている箇所もないではなかったが(とりわけ、第一章と二章)、至極もっともな批判ではある。イデオロギーはとかく、他の箇所にモデル(あるいは仮想敵)を見いだし、見いだしたモデルとともに弧を描く。そのダンスは空疎である。空疎なダンスにつきあわされることほど、辛いことはない。決して過去の話ではないことを思うと憂鬱になる。

鯰絵――民俗的想像力の世界 (岩波文庫)

鯰絵――民俗的想像力の世界 (岩波文庫)

折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)

折口信夫対話集 安藤礼二編 (講談社文芸文庫)

南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義 (岩波現代文庫)

南島イデオロギーの発生―柳田国男と植民地主義 (岩波現代文庫)


 
思想の科学研究会編『共同研究 転向2』(平凡社東洋文庫
 という訳で、フォークロアの先人たちの歩みをほそぼそと辿っていったら、結局は戦前における思想転向の問題が気になりだしてしまった。なぜ「2」から読んだかというと、亀井勝一郎・保田與重郎らの日本浪漫派における転向やマルクス主義経済学者の河上肇あるいは左翼的教養主義の牙城を守り続けた三木清における転向の問題が論じられていたからだ。いずれも、20代の頃から気になっていた人たちだ。とはいえ、本書の白眉は埴谷雄高における転向の問題だろうか。たった一度だけの転向を未完の大著『死霊』などを通じ終生考え続けた埴谷の思考の歩みは、改めて考え直してもいいと思った。そういえば、まだ読まずに我が机に積んだままの埴谷雄高の全集があったことも思い出した。
 気づいたらもう7月である。モノクロの世界に思える埴谷のヴィジョンが意外にもこの時期が一番相応しいことをぽつりと述べておく。理由?さあ、なんででしょうねぇ。ぷふい。
共同研究 転向2 (東洋文庫)

共同研究 転向2 (東洋文庫)