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日本国憲法前文をはじめてちゃんと読む(6)

現行憲法と改正草案を読み比べる 〜第3段(中)〜

 それでは、改正草案前文第3段は、どのように述べられているだろう。

【改正草案】
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。

第3段の内容は、『Q&A』によると「国民は国と郷土を自ら守り、家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたいました。その中で、基本的人権を尊重することを求めました。党内議論の中で『和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である。』という意見があり、ここに『和を尊び』という文言を入れました」と述べている(5ページ)。
 

国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章「であるべき」か?

 一読してまず気づくのが、ここではじめて、主語が「日本国民」となっている。つづいて「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」と述べている(5ページ)。『Q&A』を読むと、「前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべきですが、現行憲法の前文には、そうした点が現れてい」ないので、この文言を入れたと述べている(5ページ)。この一文は注意する必要がある。まず、主語が「日本国民」にはなっているが、この主語の背後には「国家」が控えている。「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守」るものとは何か?前文第3段最後に「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と述べているので、「自ら守」るものは「国家」を指すと見るのは容易である。
 
 ところで、そもそも「前文は、我が国の歴史・伝統・文化を踏まえた文章であるべき」なのだろうか?2003年、衆議院憲法調査会事務局が作成した『日本国憲法前文に関する基礎的資料』(衆憲資第32 号、以下『資料』と略す)には、芦部信喜『憲法学Ⅰ 憲法総論』(有斐閣、1992年)に記述された前文の意義が紹介されている。
 前文とは「①憲法制定の由来、②その趣旨・目的を謳うものもあれば、さらに③憲法の基本原則や理想を宣言するもの」で、形式も「まちまちであ」り「法的性質も一律には論じられない」と述べている(芦部[1992]199-200ページ)。この見解を踏まえ、「日本国憲法前文は、③の類型の典型であり」「憲法の基本原理の明らかにしている点、および憲法典の一部を成し法規範性を具えている点で、きわめて注目に値する」と指摘している(芦部[1992]202ページ)。となると、『Q&A』で述べられている「…であるべき」という「当然」のニュアンスは、『資料』で引用されている意義にまったく添わない。憲法前文の意義というのを、自由民主党の改正草案を作成した方々は理解していないと言わざるを得ない。
 

基本的人権の尊重について

 改正草案では、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守」ることが前提の上で(そういう文章の流れと読める)、「基本的人権を尊重するとともに」と述べている(太字:筆者強調)。「基本的人権」は独立した一文で述べられていないことに注意。現行憲法では三大原理のひとつである「基本的人権の尊重」という言葉について『Q&A』では、「前文は、いわば憲法の『顔』として、その基本原理を簡潔に述べるべきものです。現行憲法の前文には、憲法の三大原則のうち『主権在民』と『平和主義』はありますが、『基本的人権の尊重』はありません」と批判している(5ページ)。果たして本当にそうなのか?
 「基本的人権」とは何か?『大辞林』によると、「人間が人間である以上、人間として当然もっている基本的な権利。日本国憲法は、思想・表現の自由などの自由権、生存権などの社会権参政権、国・公共団体に対する賠償請求権などの受益権を基本的人権として保障している」と記載されている。つまり、まとめると…

  • 平等権(差別されない権利)
  • 自由権(精神の自由、身体の自由、経済活動の自由)
  • 社会権(生存権、教育を受ける権利、労働基本権)
  • 受益権(請願権など)
  • 参政権(選挙権など)

と、これらの権利が憲法によって保障し尊重されているのが「基本的人権」である。
 ところで、現行憲法の前文にははっきりと「基本的人権の尊重」という言葉でわかりやすく記述はされていない。しかしながら、先に列記した基本的人権の項目を頭に入れて、現行憲法の前文第1段および第2段をよく読んでみよう。

【第1段】
われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保しそもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
【第2段】
…専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 は「自由権」を、 は「参政権」を、第2段 は「自由権」と「社会権」を、 は「社会権」の中の「生存権」にあたる。つまり「基本的人権の尊重」に関する文言は、現行憲法の前文に記述されている。したがって、『Q&A』における現行憲法前文への批判は、現行憲法の前文を真面目に読んでいない(であろう)大多数の国民に対する子供じみた目くらませである。
 
 先述したように、「基本的人権の尊重」という文言は、改正草案の前文は「基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」(太字:筆者強調)と独立した一文で述べられていない。あくまでも、「家族や社会全体」における互助による「国家の形成」「とともに」なのである。『Q&A』で現行憲法の「天賦人権説」(すべて人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想)を「改める必要がある」(『Q&A』14ページ)と述べているだけあって、個人の人権についての意識は後退していると言わざるを得ない。
 そう見ると、「基本的人権の尊重」に続く「和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という文言は、さらに注意深く読む必要がある。なぜなら、「家族や社会が助け合って国家を形成する自助、共助の精神をうたい」「その中で」、つまり「人類普遍の原理」である「基本的人権を尊重すること」は「国家を形成する自助、共助の精神」の中で求められるという条件がかけられているからだ(5ページ、太字:筆者強調)。たとえ、改正草案第11条「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」と述べられていても、これでは説得力がない。続く第12条では「国民は、これ(引用者註:自由及び権利)を濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と述べられている。ここから察するに、「基本的人権」には「責任と義務が伴」い、「常に公益及び公の秩序に反してはならない」という制約が生まれ、そうして前文のような文言になる訳である。こうした文言を入れることで、国家が国民に人権を与える代償として義務を課すことが可能となる(続く)。