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日本国憲法前文をはじめてちゃんと読む(8)

「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」そして「自由」

 「公共の福祉」(public welfare)とは、AとBがそれぞれの権利を主張した際、多種多様な人間が生活する社会なので、どうしても互いの権利をめぐって衝突せざるを得なくなる場面が出てくる。また人権には限界があり、いくら日本国憲法で人権保障を謳っても、現実社会で通用させるには一定の範囲で制約を受けることになる。ここでいう「制約」とは、法律や条例をイメージすればいいだろう。争いを避けるためには、この「制約」に則っていい具合に「調整」というかたちで「妥協」する。これが「公共の福祉」である(公共の福祉とは」『日本国憲法の基礎知識』*1


 一方、「公の秩序」とは「国家社会の一般的利益を意味する」*2。また、法律で定めた「強行規定」(「~してはならない」という文言で表現される)は、「公の秩序」を構成するものと解されている。「公益」とは、公共の利益であり、公共の安全、取引の安全、社会的風俗などが含まれる。
 となると、改正草案前文における「自由」という言葉は、「自由と責任」の自覚とともに、「国民は」「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(改正草案第12条)という「当然・義務」というニュアンスが強く反映されている。
 ではなぜ、現行憲法の「公共の福祉」という文言を改正草案では「公益及び公の秩序」という文言に変えたのか?その理由を『Q&A』は次のように説明している。

Q14「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に変えたのは、なぜですか?
従来の「公共の福祉」という表現は、その意味が曖昧で、分かりにくいものです。(中略)
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。(14ページ)

「公共の福祉」という言葉は「その意味が曖昧で、分かりにくいもの」だと『Q&A』は述べている。具体的にどこがどう「曖昧で、分かりにくい」かは『Q&A』を読んでもわからない。確かに、「公共の福祉」(public welfare)という語は、誤解が生じてしまっている感は否めない。"welfare"の語義を見てみると、"wel-"(望むこと、願うこと)"fare"(〈人が〉よくやる、暮らす、やっていく)という意味の言葉からできている*3。つまり、人がよく暮らしていくことを望み願うことが"welfare"の主眼である。ここは、共和制ローマ末期の政治家にして哲学者のキケロの言葉を引用しておこう。

何であれ人間にかかわりのあることは自分とは無関係だとは思わないとすれば、法はすべての人間によって等しく尊ばれるだろう。というのは、自然によって理性を与えられている者には、正しい理性も与えられているのであり、したがって、命令と禁止における正しい理性である法律も与えられているからである。法律が与えられているなら、法もまた与えられている。そして、すべての人間には理性が与えられている。したがって、法はすべての人間に与えられていることになる」(「法律について」岡道雄訳『キケロー選集 8』岩波書店、1999年、202ページ)

「公共の福祉」という考えは、キケロの三段論法が前提としている「人間にかかわりのあることは自分とは無関係だとは思わないとすれば、法はすべての人間によって等しく尊ばれる」ことを土台としていると僕は考えている。
 現行憲法は「神の下での平等」をはじめ、欧米におけるキリスト教社会の影響が強いという批判がある。しかし、厳密に言えば、欧米とりわけヨーロッパにおける知的伝統はキケロからはじまった、というのが一般的な見解であることを付け加えておこう*4
 また「公共」と「公」は似た言葉だが、厳密にいうと、そのニュアンスは異なる。「公共」が主に、「社会一般」「社会全体あるいは国や公共団体がそれにかかわること」を指すのに対して、「公」は「政府。官庁。また、国家」「個人の立場を離れて全体にかかわること」という意味である*5。「公共」は、個人という最小単位が「社会」というより大きな構成単位となって、「国や公共団体」と「かかわる」という「接触」のニュアンスがある。対して「公」には、「個人の立場を離れて全体にかかわる」といった「国家」に個人が包摂される可能性を含んだ意味と解釈できる。
 さらに、『Q&A』では「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたもの」と述べている。「基本的人権の制約」が発揮される「人権相互の衝突」というのは、 上の「公共の福祉」の説明で述べた、互いの人権が主張された際の「調整」「妥協」を意味する。これが「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」に変えることで、「人権相互の衝突」の場面にのみ発揮される「基本的人権の制約」が他の場面でも発揮されることを意味する。これが改正草案における「自由」という言葉に隠された核心である(続く)。

*1:ただし、「公共の福祉を名目とする国家による規制をも無制約とする危険をはらんでいる」という批判があり長谷部恭男「国家権力の限界と人権」『憲法の理性』所収[東京大学出版会、2006年]63ページ以下)、近年では「何らかの意味で公共の利益も『公共の福祉』の内容」として認める見解が一般的となっている(曽我部真裕、赤坂幸一、新井誠、尾形健 編『憲法論点教室』[日本評論社、2012年]70ページ)

*2:『法律学小事典』(第4版)有斐閣

*3:研究社 新英和中辞典より

*4:観光名所などの「案内人」を意味するイタリア語「チチェローネ(Cicerone)」はキケロ(Cicero)が語源である。

*5:大辞林』より