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日本国憲法前文をはじめてちゃんと読む(10)

天賦人権説をめぐって

 そもそも「天賦人権説」とは何か?この「説」の基になっている「天賦人権」という言葉の意味を調べると、こう記載されている。なお、参考までに「天賦人権説」の辞書上での意味も記載しておく。

【天賦人権】
天がすべての人に対して平等に、分かち与えた権利。(デジタル大辞泉)
〘法〙 人が生まれながらにして有する権利。自然権。(大辞林 第三版)
【天賦人権説】
すべて人間は生まれながら自由・平等で幸福を追求する権利をもつという思想。ルソーなどの一八世紀の啓蒙思想家により主張され、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言に具体化された。日本では明治初期に福沢諭吉加藤弘之らの民権論者によって広く主張された。(大辞林 第三版)
【天賦人権論】
17、18世紀の近代国家成立時に民主主義政治原理として欧米において唱えられた自然権(natural right)思想の訳語。社会契約説に儒教の自然や天の理念を結び付けて構成した日本版人権・国家思想。(Yahoo! 百科事典

「デジタル大辞泉」と「大辞林」では、前者が「天が」と記述しているのに対し、後者は「人が生まれながらにして有する」と記述しており、若干ニュアンスが異なる。「デジタル大辞泉」は「天が」と記述することで「神の下の平等」という意味を含ませ、「大辞林」では「天賦人権説」に添った記述になっている。ただ、「大辞林」の説明では日本における「天賦人権」について少々言葉が足らないので、Yahoo!百科事典の「天賦人権論」を引用しておいた。これを読むと、西洋の思想のみで「天賦人権」について考えていたのではなく、「儒教の自然や天の理念を結びつけて構成」していたという指摘は注目すべきだろう。
 
 ところで、『Q&A』には次のような記述がある。

…権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。(14ページ)

改正草案では、「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたもの」という前提から、「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考え」ている。それゆえ、「西欧の天賦人権説に基づ」く「規定」を「改める必要があると考え」たと述べ、該当する第11条を例示している。しかしながら、現行憲法における「人権規定」は「我が国の歴史、文化、伝統を踏まえ」ていないのだろうか?「人権規定」とは、現行憲法の「第3章 国民の権利及び義務」(第10条〜第40条)にまとめらた条文を指す。つまり、「個人の尊厳」を実現するためにはどのような規定が必要なのかを考えて規定されている訳である。
 そもそも、「人権」という言葉を辞書を繙くまでもなく、「人間として生まれながらに持っている権利」である。1999年、政府の人権擁護推進審議会答申で「人々が生存と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」と定義されている。また、「人権」という概念が誕生した背景をみると、13世紀初頭のイギリスにおけるマグナ・カルタからはじまる。そして17世紀に入り、一連の人権に関する動き(「権利請願」「人身保護法」「権利章典」)が出てくる。これらの背景にあるのは、絶対主義的で暴力的な権力から自分たち、広く述べれば個人の権利を護るためにこれらの要求が行われてきたのだ。この「人権」という概念が誕生した経緯を踏まえて、再度上述した『Q&A』の文言を読むと、如何に詭弁を弄し、自分たちの都合のいいように解釈しているかがわかるだろう。『Q&A』で述べている「共同体」とは、「国家」に最終的に包摂されることを前提としているのは一連の文言から容易に推察できる。いくら、「基本的人権」を「尊重」しますと述べられていても、その背景にある考えが、現行憲法の精神と似て非なるもの、「人権」そのものの概念を歪曲していると看做せてしまうのだ。
 以上の点を留意した上で、現行憲法と改正草案を見てみよう。

【現行憲法】
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

【改正草案】
第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。

 現行憲法は、GHQ(アメリカと言い換えてもほとんど差し支えないだろう)主導による草案をもとに作成された。最終文末尾の「与へられる」という受動態の表現を用いているのは、「神の下の平等」という「欧米の人権概念」から「発達してきた」「観念」に由来する。だから「キリスト教的文化を共有している社会であれば」、現行憲法の文言は「自然に受け入れられる」。しかし「日本はキリスト教圏では」ないので、改正草案では「『神の下の平等』という観念をベースにした人権の考え方、という意味で」「日本人にとって自然な文言に書き換えよう、というだけのこと」と述べている方がいる(「憲法改正デマの話(3)自民党は天賦人権説を否定しようとしている?」)。しかしこの説明は表面的であり、この方の巧妙なレトリックに過ぎない。「天賦人権」は"natural right"の訳語である。「天から与えられた、人の力ではどうにもならないもの」*1つまり、単に宗教的ニュアンスで「天賦人権」をとらえるのではなく、さかのぼって、古代ギリシアより「自然的正義に基づいて人間本性が持つ権利である」というところへベンチマークをもっていく必要がある。そこから「天賦人権」について見通した上で、改正草案の関係する箇所などの文言は妥当性があるのかどうかを検討しなくてはいけないと思う。「『天賦人権説』という用語を自民党憲法改正草案では『神の下の平等』という観念をベースにした人権の考え方」というスタンスは、改正草案、そして『Q&A』の言葉を仔細に検討すればするほど、残念ながら感じられない。
 
 現行憲法、改正草案を比較するにあたって、「天賦人権」あるいは「人権」という概念がそもそも誕生した背景をもう一度確認すべきだろう。その上で、改正草案の条文が意図するところ、また現行憲法の条文が意図するところを、余計な先入観や憶測などを排除しながら、対象そのものを読み解く知的作業が必要になる。それこそ、僕たちに突きつけられ、求められていることである(続く)。
 
【参照サイト】
・「天賦人権説(あるいは自然権)の否定は何が問題なのか?」『烏蛇ノート』(2012年12月12日付ブログ記事)
・開米瑞浩「憲法改正デマの話(3)自民党は天賦人権説を否定しようとしている?」『開米のリアリスト思考室』(2012年12月20日付ブログ記事)

*1:「天賦自然」『デジタル大辞泉』の説明より