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日本国憲法前文をはじめてちゃんと読む(11)

まとめ

 以上で現行憲法と改正草案の前文を読み比べながら、改正草案前文を批判的に検討してきた。ここで再度、(9)で述べた改正草案前文の批判にあたってのポイントを述べておこう。

  1. 「人類普遍の原理」の削除(
  2. 「他者」の排除(
  3. 「天賦人権説」の隠蔽と「基本的人権の尊重」の制約(10
  4. 「当然」「義務」という名の下の憲法・・・「自由」をめぐる「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」の相克(

僕が改正草案を批判的に読んできたのは、大きく上記の4点をちゃんと見ておかないと、大切にすべきものを失ってしまうと思ったからだ。「大切にすべきもの」とは「基本的人権の尊重」である。だからこそ、僕たちが何を与えられ、何をしっかり検証し守っていくかを見直さないといけないと感じたからだ。
 

今こそ前文を読もう

 そもそも僕が現行憲法と改正草案の前文を読もうと思ったのは、憲法の原理、そして現行憲法への批判と改正草案の問題点は前文に集約されていると考えたからである。昨今、改正草案をめぐって、様々な記事が見受けられる。管見の限り、大多数は改正草案へは批判的である。Die Zeit des Rechtsというブログの「憲法学者は自民党改憲案をどう読んだか」という記事を読むと、憲法学者たちは皆改正草案を一刀両断、批判・非難している。しかしながら、そもそも何故こういう改正草案をつくらせてしまったのだろうか。こういう改正草案をつくらせた人たちを国会へ送ったのは、僕(たち)日本国民ではないのか。こういう人たちをのさばらせてしまったのは、僕(たち)が憲法についてあまり関心をもたず過ごしてきてしまったからではないか。そう反省せざるを得ない。右だ左だ真ん中だとスタンスに拘泥したり、みなしたりするのは、正直どうでもいい。重要なのは、憲法はわれわれのものであって、政治家たちのものじゃない、ということである。
 

最後に

 僕は憲法改正は絶対反対だとは思っていない。しかし、自由民主党が提出した憲法改正草案については反対である。植木の手入れのように少しずつ、現状にあったようなアップデートはする必要はあると思う。他国の憲法改正数が多いというのは、抜本的な改正ではない。これは見誤ってはいけない。今回の参議院選挙でも争点になった憲法9条改正にともなう諸問題の背景に、昨今の東アジアの情勢があるのも理解している。しかしながら、憲法改正をある一定の論理に沿って、ご都合主義のように錆び付いた論理を振りかざして、憲法改正を声高に主張することに猛烈に違和感を感じている。そうならない/させないためにも、たとえ今回までの一連の拙い憲法前文読解がナイーブだと言われようとも、自分の頭で考えアウトプットしていくことが、やっぱり重要なのだと再確認した。
  
 2013年は、田中正造が亡くなってちょうど100年である。亡くなるまで、田中正造は肌身離さず常に信玄袋を持ち歩いていたという。その中身は、書きかけの原稿と新約聖書、鼻紙、川海苔、小石3個、日記3冊、帝国憲法とマタイ伝の合本だった。
 憲法とは、田中正造が政治家だったということを抜かしても、肌身離さずに持ち歩くような存在なんだと思う。このことを忘れないでいたい。