SIM's memo

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N:流れに身を任せること

 7月24日のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」を見ていたら、薬師丸ひろ子演じる女優鈴鹿ひろ美が、主人公の天野秋の母親(だとは鈴鹿ひろ美は気づいてないと思う)がアイドルになれなかったのを「運がなかったのよ」と酔いに任せて呟いていた。この一言は、結構僕には重く響いた。
 
 「巡り合わせ」というのも「運」の一要素だろう。その「巡り合わせ」を漫然と受け取るのではなく、自分のものとしてつかみとり、前へ進んで行く。その「巡り合わせ」がその人の環境をつくっていくのだから、少なくとも、今は平凡でパッとしない主人公の天野秋は、環境という面では他の仲間の女の子よりもアドヴァンテージがある。当然、本人はまったく気づいていない。
 そういえば、以前の大瀧詠一山下達郎の「新春放談」というラジオ番組で、大瀧氏が人は誰しもチャンスが3度めぐってくる説を唱えていた。そのチャンスをつかめるか否かで、その人の人生が決まるようなことを述べていた。僕はそれを聴いた時、深く納得するとともに、そういえば、自分には果たしてそんなチャンスがこれまで何度巡ってきたのだろう?と考えてしまった。チャンスは確かにあった。2度だ。こう言うとなんであるが、その2度ともつかめたと思っている。そこから先は、まあ自分の実力である。なので、現時点で平凡で埋もれているとすれば、決して他の人や状況のせいではなく、自分自身の問題である。
 
 「チャンスをつかむ」「運」を天に任せるというのは、こちらが一生懸命努力してもやってくるものじゃないと思う。努力すれば報われることは多いかもしれないけど、報われないことの方も多いと思う。焦ってジタバタしたり、これまで通りやってきても、まったくダメなこともある。そういう時は、流れにただ身を任せればいいと言われたことがある。節目の時というのは、案外流れに逆らわず、身を任せればいいのかもしれない。これって、できそうでなかなかできないことだ。「チャンスをつか」んだら、その後が勝負なのだろう。流れに身を任せている時は、そのための予行演習なのかもしれない。