SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

Q:Que sais-je?

「わたしは何を知っているだろうか?」(Que sais-je?)を哲学のモットーとして掲げたミシェル・ド・モンテーニュ。38歳で隠遁生活に入ったというモンテーニュの精神を象徴する言葉でもある。つまり「懐疑」である。モンテーニュの懐疑の精神が、のちのデカルトの登場を促したというのが、世間でみるところの哲学の歴史でもある。
 
 いったい「懐疑」を忘れたところに健全な精神が宿るのだろうか?世の中、「正義」を振りかざしていることが必ずしも正しい訳じゃない。時に隣人さえも傷つける。それも「正義」なのだ。正義の女神が剣(言葉の象徴でもある)と天秤(価値・判断の象徴)を持っているのはきわめて両義的である。「懐疑」は内省をも促す。かなりキツい道のりである。だから「懐疑」することをやめてしまう。そうして、よりよき自分になるべく「不退転の決意」を述べたがる。なぜなら、これまでの自分を簡単にリセットできるからだ。しかしながら、そのことは、自分自身に対して誠実だとは思えない。とことん疑い、自分のスタンスに正直でいることはやっぱりキツい。だけどやめない。おそらく、自分自身を安売りしないことにつながる。自身に正直でいるためには、濁りなく澱みなくするために、精神を活性化させる。これが「懐疑」であり、また「懐疑」する姿勢を支えるものはないような気がする。
 
 「わたしは何を知っているだろうか?」(Que sais-je?)。何も知らないしわかってないからこそ、まず自身の態度や考えを直視していく必要があるのかもしれない。