SIM's memo

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2013年の読書を振り返る(2)

 続いてはこちらのジャンルで印象に残った書籍を振り返ってみたい。

  • アンドルー・ゴードン『日本の200年(上・下)』(みすず書房
  • デヴィッド・A・ナイワート『ストロベリー・デイズ』(みすず書房
  • 山本武利『GHQの検閲・諜報・宣伝工作』(岩波現代全書)

近現代史を振り返る

 さて、個人的に戦中・戦後の日本の歴史に関心を寄せているので、その時期にかんする研究書などを意識して読んでいる。その中でも、とりわけ印象に残ったのが上に掲げた3タイトルの書籍。いずれも力作である。
 ハーバードで歴史学を教えている著者の名が日本で広く知られるようになった『日本の200年(上・下)』は、数多ある日本通史の中でも読みやすさと手堅さ、視点のユニークさにおいて他の追随を許さない。本書は2006年に旧版が出たものの、2008年のリーマン・ショック、2009年夏の民主党への政権交代、そして2011年3月の東日本大震災原発事故という大きな出来事を追加して叙述したのが新版である。先に「視点のユニークさ」と述べたが、どこがユニークなのか?

  1. 「今、アジアの人びとと共有できる『日本史』は、ありうるだろうか?」という問いから出発しており、そこから、日本という場で展開された「ひとつの『近代の』物語」として、「広汎な世界の近現代史と密接不可分であるという『相互関連性』をつねに織り込んで考えている」こと
  2. 戦前、戦中、戦後を一つの時期としてとらえる必要のあるときには、「貫戦期」という表現を使用していること
  3. 政治史、社会史、経済史、文化史を、個別にではなく、ダイナミックに織り合された重層的な歴史として語っていること

とりわけ、「貫戦期」という視点でとらえないといけないなあ、と痛感してもいた。戦後まもない出来事の背景は、その時に突如発生した訳ではなく、それ以前から連綿とつながっているのだ。当たり前の視点ではあるが、意外にもここは盲点なのである。不思議な話ではあるけど。今後、こうした視点から日本の近現代史は語られてゆくであろう。
 日本の近現代史は、何も日本列島で起きたことだけを語ればいいのだろうか?という問いがある。『ストロベリー・デイズ』は、日系アメリカ人たちが異国の地で生きることの大変さとそれでも前を向いて生きて来た歴史を静かに語ってくれる。かれらがアメリカ西海岸で成功したその象徴が"strawberry"であった。かれらの技術と努力が栽培が難しいとされていた苺づくり*1が、土地に住む人たちをつなぎ、そして支えてもいた。しかし、戦争がかれらの生活もコミュニティも分断し破壊した。アメリカ政府だけのせいなのだろうか?かれらはこのアメリカの地で骨を埋める覚悟で生きていたのだ。日系アメリカ人たちの強制収容所については、こちらは多く知ろうとしてこなかったこともある。本書は先に問いかけたことを常に反芻させてくれる。
 さて、GHQの検閲・諜報・宣伝工作』は、占領期GHQによる検閲の実態を最新の研究を盛り込んで語られている。学術書ゆえ、2000円以上と少々値がはるが、占領期におけるメディア検閲を知る上で、手頃な書籍である。権力が政策に不利益と目される言説を述べる個人に対し、如何に切り込もうとしていたか?昨今成立した「特定秘密保護法案」を知る上で、今こそ戦後まもないころの検閲の実態を知る必要があろう。GHQがしてきたことは、日本を民主主義国家にするという正義の名の下になされてきた。しかし実態は必ずしもそうではない。本書で述べられていることが二度と起こらないとは限らないのだ。
 
 東日本大震災は、それ以前の日本の歩みから大きく転回した出来事である。そしてその余波はおさまるどころか、日に日に大きなうねりとなりつつある。大きな声で「絆」とか「がんばろう」とか美辞をふりまくものへは、決して惑わされてはならない。歴史研究書を読むことは、そうした判断力や批判力を身につけるためでもある。(続く)
 

日本の200年[新版] 上―― 徳川時代から現代まで

日本の200年[新版] 上―― 徳川時代から現代まで

日本の200年[新版] 下―― 徳川時代から現代まで

日本の200年[新版] 下―― 徳川時代から現代まで

ストロベリー・デイズ―― 日系アメリカ人強制収容の記憶

ストロベリー・デイズ―― 日系アメリカ人強制収容の記憶

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

GHQの検閲・諜報・宣伝工作 (岩波現代全書)

*1:手間がかかる故、家族が仲良くないと苺づくりは困難なのである。