SIM's memo

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語りは騙り

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 大瀧詠一氏が鬼籍に入って以降、いろいろと追悼特集や番組がやっていて、それはそれで聴いていてしんみりしてしまうのだが、中には「ん?」と思ってしまう番組もあった。そのひとつが、TBSラジオで毎週火曜の夜8時からの2時間番組「西寺郷太のTAMAGO RADIO」2014年1月21日放送分である。この回はゲストにサエキけんぞう氏を招き、大瀧詠一氏の音楽をを軸に日本におけるロックの変遷の一端を語っていた。
 
 ところで、ここでサエキ氏が語っている内容について、結構?と思うところがあった。たとえば、1st.アルバム『大瀧詠一』(1971)に収録されている「びんぼう」という曲。サエキ氏はしきりにこの曲とブラック・ミュージックとの親和性を語っていた。しかし、この曲についてはまず元ネタをみてみるべきだろう。「びんぼう」の元ネタはJerry Reedの"Amos Moses"(1970)である。

Amos Moses - Jerry Reed - YouTube
 
参考までに大瀧氏の"びんぼう"を。

びんぼう / 大滝詠一 "大滝詠一" (1972) - YouTube
 
ギター・リフがJerry Reedの曲とかなり近い。で、Jerry Reedという人はカントリー・ロック畑では著名人であり、数々の名盤を残している*1。もし"びんぼう"にブラック・ミュージックの影響があるとすれば、それは大瀧氏個人に帰するものではなく、リズム隊の2人(松本隆細野晴臣両氏)に帰するべきである。この点ははっぴいえんどのラストアルバム"HAPPY END"に収められている細野作である"相合傘"のリズムあるいは解散コンサートの模様を収録した"ライヴ!!はっぴぃえんど"を聴いてもらえるといいだろう。

 さて、この番組でサエキ・西寺両氏は大瀧詠一という人を語る上でかなり重要な音楽的ルーツについて触れていない。はっぴいえんど解散前夜に熱心に聴き、研究していたニューオーリンズ・サウンドである。この点は、大瀧氏に限らず、細野晴臣というミュージシャンを語る上でも抜かせないポイントである。事実、大瀧氏亡き後に放送された細野氏がパーソナリティーをつとめる番組で「ファンクというよりもニューオーリンズのポップスをずいぶんと大瀧くんも研究していたね」と語っている*2。ここでいう「ニューオーリンズのポップス」とは、Dr.Johnを想定している。

iko iko - dr.john w/ lyrics - YouTube

 もちろん、Sly & the Family Stoneをはじめとするfunk抜きには大瀧氏のサウンドは語れない側面もある。しかしここがすべてではない。大瀧氏のサウンドは細野氏をはじめとする周辺の凄腕のミュージシャンたちの影響ないし協力なしでは実現しなかった。勿論、かれらが当時影響や刺激を受けていた音楽的要素が散りばめられている。万華鏡的な世界なのである。個人的には、その象徴がリズム・ボックスの導入だと思っている。

Sly and The Family Stone- In Time - YouTube
 
 ここで言いたかったことをまとめると…

  1. 大瀧詠一の初期から"NIAGARA MOON"までのサウンドは、細野晴臣の存在なくしては語れない
  2. あくまでも、アメリカ南部(カントリーやニューオーリンズ・サウンド)の影響下で実験的に音づくりをしていた。
  3. サエキ氏の着眼点はいいのだが、大瀧氏の音楽的背景と当時の音楽シーンを語りきれていなかった

以上の3点。フィル・スペクターの"ウォール・オブ・サウンド"の影響はすこし語り(騙り)過ぎていたと思う。確かにフィル・スペクターの影響抜きには語れない。しかし、アメリカン・ミュージックのふところの深さと何故大瀧・細野両氏はそこに触発されたか、このフィルター抜きには大瀧氏の音頭ものや細野氏のチャンプルー系からY.M.Oへの展開(転回)は理解できない。物足りなさというよりも、自分はこんなことも知っているよ、という鼻につく内容に聴こえてきて、とても残念だった。サエキけんぞうも年をとったなあ。

*1:この頃、Elvis Presleyにも曲を提供している

*2:Inter FM "daisy holiday"2014.1.19 O.A.より