SIM's memo

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思い出すことなど(12)

 昨日、本を整理しながら、ふとあることを思い出したことがあった。

それは、今をさかのぼること17年前。学生だった僕は、その時付き合っていた女性の友人宅へ一緒に行った。目的は、彼女の友人の娘さんのこと。その女の子は小学2年生だった。肌は浅黒く、背は同年代の子どもよりも高かった。おとなしいけれども、誰が見てもキレイと言わざるを得ない女の子だった。その子は確か、親の意向で雑誌や広告のモデルをしていた。
 で、何故僕たちはその子に会いに行ったか。当時家庭教師や塾で単発ながらアルバイトをしていた僕に子どもの面倒を見るのはきっと大丈夫だろう(と勝手に判断された)からその子と遊んでほしい、できれば勉強も教えてくれると助かると頼まれたからだ。今思うと、随分ノンキというか、間違った人選だったんじゃないのかと気がする。けれども、はじめて会ったその女の子が何故学校でいじめられているのかわかるような気がした。つまり、見た目が大人びているので、同級生たち(特に男の子)がどう接していいのかわからなかったのではないかなと思った。ロリコンでもなんでもない僕でさえ、この子は美しいと思った。
 
 そんな訳で、週に1回、当時住んでいた石神井公園から本八幡まで行っては、その女の子と半日面倒をみた。はじめのうちは、その子はほとんどしゃべってくれず、僕もあまり話しかけようとせず、ただ二人で近所を散歩したり、一緒にテレビをみたりしていた。ただ2、3回あううちに、話すようになっていき、時折笑顔を見せてくれるようになった。その時の表情をみて、ドキッとしたことは今でもはっきり思い出せる。
 
 あまりしゃべる女の子ではなかったけど、一緒にいて何故か楽しかった。今思うと、その女の子とは気が合うような気があうような感じだったと思う。おそらく、ふたりともエイリアンで、空気の違うこの地球で生きているのが少々しんどく感じていたから、言葉かわさなくてもわかっていたのだろう。その女の子がふと見せる笑顔がびっくりする位大人びていたのが今となっては懐かしい。
 
 その後、半年は本八幡まで真面目に行っていた。けれども、僕の方が忙しくなって時間が割けなくなってしまったのと、当時付き合っていた彼女との関係があやしくなりだしてきたこともあり、本八幡へは行かなくなってしまった。最後に行ったのは秋の終わりだっただろうか。その女の子のお母さん(つまり彼女の友人)には、とても残念がっていて、娘がこんなに他人になつくなんて思わなかったと言われた。だけど、それ以来、その親子と会っていない。
 
 あれから17年。そのキレイな女の子は25歳になっているのだろう。どういう大人の女性になったのだろうか。そして僕のことを覚えていてくれているだろうか。覚えていなくても、僕にとってはその女の子と過ごした時間は大切だったんだな、と今にして思う。