SIM's memo

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能動的な地獄巡り

 ここ数日、心身(とりわけ「心」)が不調で、久方ぶりにあまり人にあいたくない病が発症してしまった。最低限、書類を提出したり、人に会わざるを得ない時以外は、なるたけ連絡も含めしないようにしている。というよりも、したくない。食事を作るのも食べるのも億劫である。ただ、洗濯(3日に1回)とトイレ掃除(毎日)をしないと気持ち悪いのでそれはする。だけども、出かけたくない。横になりたいとは思うけれども、なんだか面倒というか、そのまま起きられないような気がするのでしない。温泉へ行ったり歩いたりはするのだが、急にいいようのない寂しさというか、息苦しさに似たような感じになるので、気分が晴れない。
 ここまで書いていて思ったのだが、漱石の『門』の主人公である宗助が鎌倉のとある禅寺でしばらく逗留する際の心境に近い。そういえば、昨夏、拙ブログで『門』をめぐる文章を書いた際、宗助の鎌倉参禅をダンテ『神曲』になぞらえて、「能動的な地獄巡り」と評してみた(『反=恋愛小説として 〜漱石『門』を読む(4)〜』)
 そう思うと、今の自分自身の状態は、宗助の「能動的な地獄巡り」に近しい。おおよそ、拙ブログで文学作品を借りて書いていることは、自分自身のことと照らし合わせて語っているのだ。となると、自分と他者をめぐる問題にほとんど起因していると言っていい。宗助は「他者」を見いだし得ぬ苦しみに懊悩していた。僕の場合、他者は自分の鏡であるがゆえに、認めたくないことや傷つきたくないという思いやエゴに翻弄されているのだろう。
 
 思えば、ここひと月以上、「能動的な地獄巡り」は既にはじまっていたのだ。すべて他者という鏡を通じて、自分の気持ちが勝手に翻弄されている。時に捨てなければならないことがある。今はなるようにしかならないという自然な態度でいたいのだが、自分の弱さが顔を出し狼狽えてしまっている。だから、無理に一方から他方へ移すことなく、今は静かにしていたい。