SIM's memo

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損だなあと思うこと

  1. お酒があまり呑めない(=弱い)
  2. コーヒーが飲めない
  3. 絵を描くのが苦手

個人的に、この3つが「三大損だなあ」である。


お酒が呑めないから経験できないこと

 まず酔っぱらったことがない。お酒を呑んだことは幾度もある。しかし、せいぜい頭がぽわーんとする位である。当然泣くこともないし、愚痴ったり暴れたり脱いだりすることもない。こんなことは素面でもできる。しかし、酔っぱらって、意識がなくなるとか気付いたら知らないところにいた、なんていうSF的経験ができない。なんだか、損しているような気がする。コミュニケーションを深めるという意味での宴席にも付き合えない。素面でいることほど辛いことはない場である。「下戸なんです…」というのが面倒というか、いささか苦痛でもある。だから、そういう場に参加するのは面倒だと思うようにしている。

コーヒーを飲むと胃が痛くなる

 そして、コーヒーが苦手である。味ではなく、飲むと胃が痛くなるのだ。仮に飲めたとしても、アメリカン・コーヒーのように薄味である。周りにコーヒー好きがいるせいか、昔から美味しい、あるいはこだわりのコーヒーを淹れてくれるというお店にいっては飲んだこともある。確かに味わい深いなあ、と素人ながらに感じたりした。しかし、本当にわかっているとは思えない。というよりも、コーヒーをちゃんと味わえていない気がしていた。コーヒーが好きな人はコーヒー豆の選定から淹れ方までこだわる。結構カッコいいなー、なんて思ったりもする。朝起きて、コーヒーを入れるという一連の所作がなんだかドラマのワンシーンみたいて、ちょっと憧れたりもする。しかしコーヒーを飲めないオッサンは、ハードボイルドになれない。せいぜい起きがけに水をコップ一杯飲んでおしまいである。なんだか、つまらない感じがする。だから、コーヒーが飲めないのも損だなあと思う。

絵が描けたらなあ…

 これが一番損だなあと思っていることかもしれない。絵心がないのだ。言葉で人を喜ばせるよりも、絵を描いた方が直感的に理解できるし、それに老若男女誰でも喜ぶ。言葉を並べたところで、性別国籍年代を選ぶ。絵だったら、万国共通、お互い目を見つめ合って親指の一本くらい立てて笑顔でコミュニケーションをとれる。絵心がないので、それができない。さらさらっと文章を書くが如く絵が描ける人を見ると、羨ましく思うと同時に自分でそのことができないことに深い失望を感じる。じゃあ、習いに行けばいいだろう?と言われるかもしれない。しかし習ったところで、空気を吸うがごとく絵がさらさらっと描けるとは思えない。酒とコーヒーは訓練すれば、どうにかこうにか飲める。しかし絵心は一朝一夕に身に付くとは思えない。イメージを相手に伝えるのは、やっぱり絵が描けるのとそうでないとでは、その差は歴然としている。

損だと自覚することで見えてくるもの

 損だ、損だと言ったり思っていても、それで解決すればいいのだろうが、世の中そうは甘くない。とはいえ、損だと自覚することで見えてくるものもある。一番は、損得勘定ばかりでは生きづらいということ。どうしても、得することに飛びついてしまうのが人間である。しかし、損があってこそ、得の有難味がわかるのではないか。損も得もコインの表裏なのではないか。だとすれば、必ず損だと思っている分、得だと思っていることも必ず同量あるはずと敢えて信じることにする。これはちょっとした、生きていく上での処世術なのかもしれない。そう改めて思うことで、無駄にないものねだりをすることもないのではないか。自分が今大切にしているもの/ことにちゃんと目を向ければいいだけなんだなあ、と慰めるようにしている。
 
 もっとも、先述したような気持ちの揺れを繰り返しながら生きていくんだろう。きっと。