心情的テロルと詩的想像力(2)
労働運動社で大杉栄とともに行動していた村木源次郎が、雑誌『改造』の大杉栄追悼特集の中で「どん底時代の大杉」を書いている。その中で、大杉と伊藤野枝たちの遺児で長女であるマコ(魔子、当時7歳)におくった童謡も綴っている(『祖国と自由』第1巻第2号、『改造』1923年10月号)。少し長いが、すべて引用しておこう。
マコよ、独りで泣くのはおよし、
僕も一緒に泣かしておくれ、
パパに、好く似た大きなお目に、
露を宿して歔欷(すすりな)く時は、
僕も一緒に泣かしておくれ、
パパと、ママと、が帰らぬ事を、
僕が寝床で話したおりも、
マコよ、お前は頷くばかり、
涙見せない可憐(いじら)しさまに、
僕は腸断つ思い、
パパの、よく云った戯言に、
俺が死んでも、
ゲンニイ、居れば
マコは、安心、
大きくなる、と、
マコよ、今日から好い叔父様が、
パパの、代りにお前と遊ぶ、
マコよ、独りで泣くのはおよし、
小さいお胸に大きな悩み、
秘めて憂い子にならぬよう、
ぼくも一緒に泣かしておくれ。
この童謡を読めば、村木がマコをどれだけかわいがっていたかわかるだろう。大杉と伊藤に対する心情よりも、マコが両親が突如いなくなったことにも涙を流さずにじっと堪えている姿に寄り添っている。ここには、村木の同志たちを非人道的なかたちで奪った支配者たちへの憤りも遠く響いているかのようだ。「小さいお胸に大きな悩み、/秘めて憂い子にならぬよう、/ぼくも一緒に泣かしておくれ。」という言葉に、悲しくてもいまここで立ち止まることをよしとせず、前を向いていくしかない、けれどもこの悲しい気持ちはちゃんと持ったまま歩いていこうとする姿も見えてくる。これが詩的な人ではなかった村木のやさしさだった。
この童謡をつくってからほどなくして村木は捕まり、未決のまま獄中で非業の死を遂げる。多くの貧しき人々を苦しめる支配者たちを断罪するためにテロを実行した訳ではなかったであろう村木。大杉と伊藤の愛児マコに託した飾り気のない言葉に、大切な人たちを奪われた怒りと悲しみに突き動かされた静かなる人の深くて青い透明度のある「情」という沼があったことを知ることができる。(つづく)