SIM's memo

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心情的テロルと詩的想像力(3)

 酔蜂和田久太郎がその短い生涯の中で俳句をつくっていた時期というのはわずか10年足らずだっただろうか。とりわけ、戒厳司令官福田雅太郎大将の襲撃に失敗して捕まってから、昭和2(1927)年に出版された『獄窓から』という文集には、俳句のみならず短歌も載せていた。
 『獄窓から』に掲載されている俳句は、たとえば、芥川龍之介も評価した

  • 五月雨や垢重りする獄の本
  • 麦飯の虫殖えにけり土用雲
  • しんかんとしたりやな蚤のはねる音

などの俳句は、獄中の和田の諦念とわずかばかりの諧謔を失わない気持ちと生への執着が17字に圧縮して閉じ込められている。しかし、病毒に冒され、故郷で軟禁状態のまま死んでしまったかつての恋人へ向けて詠った短歌の場合は残念ながらいささか拙い。拙いけれども、それだけナマの和田の感情が出ているように思う。試みに、いくつか引用してみる。

  • 「あたいだつて本を読むよ」と投げ出しぬ霞お千代が出刃をかざす絵
  • ぬばたまにほのと浮べる辻占の紅提灯を見つめて答えず
  • 病院に行きは行きしが苦が薬皆な捨てたりと言いて噤(つぐ)みぬ

商売女だった彼女が、ここで詠われているようにやさぐれていても、和田は彼女に対して真剣な愛情を注ぎ続けた。関東大震災が起きるまでの数ヶ月間、和田は浅草千束町に一部屋を借りて、そこへ彼女が通ってくるという日々を送っていたという。
 
 関東大震災が起きたため、二人は離ればなれになってしまう。彼女は郷里へ戻るも、医者にも診てもらえず、父親や継母その他の家族からの冷たい仕打ちに反抗していた。和田が彼女の郷里を訪れて一緒に帰京して養生をすすめても彼女は肯んじなかった、と和田は語っている。自分を売った親たちへの憎しみが和田にはよくわかっていたのかもしれない。

  • 悪毒にくずおほれたる体よりなお巻き舌を強く放ちき
  • 村芝居掛ると言いし若者に爛れし顔を「どうだ行こうか」
  • 意地に生き意地に死したる彼の女の強きこころを我悲しまじ

同志・大杉栄伊藤野枝を失い、そして生涯ただひとり愛した女性を「悪毒」で失った和田は、自分自身の大切な存在を奪った象徴として福田大将を襲撃する決意をする。「意地に生き意地に死したる彼の女の強きこころを我悲しまじ」は、愛する女性への手向けでもあり、また自身のその時の強い決意を静かに詠っているように感じる。和田が自らの思いを拙いながらも詩的にしか昇華し得なかった、深い悲しみと憤りがある。僕が村木源次郎や和田の詩的想像力にこころを打たれるのは、そうした詩的な営みでしか発露できなかった感情の行方にである。(終)