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SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

記憶の結晶

 昨日の午前、そぼふる雨の中、戦争体験者の証言を録るためにとある女性の方のお宅へうかがった。その方は大正14(1925)年生まれだから、今年で89歳。ご自宅の急な階段をすいすい昇っていく姿に僕が呆然としていると、「いつも昇っているから元気なんですかねぇ」とおっしゃっていた。
 さらにお話を伺うと、どうやら旅行がとても好きで、昨秋にはやく3ヶ月半かけて豪華客船で世界一周をしてきたとのこと。さらに、数日前にはフェリーで高知〜大分を経由して瀬戸内海の島々を巡ったとのこと。まったくもって、このヴァイタリティーの源はなんだろうとさらに尋ねると、ずばり「好奇心」とのこと。頭が下がる思いがした。
 
 あれこれと雑談しつつ、無事なんとか証言を収録し終わった後、古いアルバムを拝見させていただいた。大空襲の前に防空壕へ隠しておいて、戦火を免れた貴重な記憶の結晶である。自分が生まれ育ったをこころから愛しているその方にとって、幼い日のかわいらしい姿や近所に住む友だちとの写真から、その方の幸せな記憶がこちらにも伝わってきた。さらにページをめくり女学生時代の写真になると、その多くが自然な笑顔のカットが多かった。かわいらしく、好奇心旺盛な表情がとても印象的だった。帰る前に、記録用に写真を撮影した。「やっぱり笑顔がいいよね」と言いながら、レンズ越しから見えるその方の表情は、70年以上前のあの写真たちの表情そのままだった。
 
 一段と激しく降る雨の中を車で帰りながら、その方が大切にもっていたアルバムに残された彼女の表情と先ほど僕が撮影した表情を交互に思い出していたら、ふいに涙が出てきた。そしてしばらく泣き続けていた。こんなに泣いたのはいつ振りかわからないくらい泣いた。
 何故涙が出てきたのかわからなかった。時の流れの残酷さを思って泣いたのでもない。時間を超えてなお、同じ笑顔であり続けていたその姿が僕のこころへダイレクトに伝わってきたのだろう。そして、彼女の幸せな記憶の結晶としての写真を通じて、ベンヤミンがいうところの「集合的無意識」へと直結し、僕のこころの奥にしまったあったと思われる幼い日々の記憶へとつながっていることを身体的に反応したのかもしれない。
 けれども、何故あそこまで泣いたのか、いまなおはっきりわからないでいる。