SIM's memo

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長いお別れ

 2015年1月7日、大変お世話になった方が亡くなった。

 以前、「O:お世話になった人」で書いたことがあった。結果的には、その時にお会いしたのが最後だった。ここで僕は「来月、また様子を見にいってこようかなと思う」と書いたが、結局は行かなかった。というか、行けなかった。俗事に忙殺されてしまったというのは言い訳で、なんだか行く気がしなかった。
 竹を割ったような性格で明るい人が弱音を吐いた時、想像を絶する程の辛さだったのだろうと思った。肉体的も精神的にも辛かったことを思うと、暗澹たる気持ちになり、未熟者である僕はどうしていいかわからなかった。それが僕の弱さであるのはよくわかっていた。けれども、その方と向き合うことをどこかで避けていた。今思うと、ちゃんとまたお会いしに行けばよかったと思う。けれども、言い訳になるが、いつもの明るく、屈託のない、兄貴のような人でいて欲しかったという気持ちが強かったので、あの時が最後でも悔いはないと思うようにしている。亡くなる数ヶ月前はすっかりやせ細り、元気がなかったと聞いた。そんな姿を僕は敢えて見たいと思わないだろう。そんなわがままを、その方なら許してくれる。これが僕がその方への最後の甘えである。
 
 今日、お別れの会という形でセレモニーホールで執り行われた。250人以上の方々が参列していた。進行の男性の話を聞きながら、僕は段々腹が立ってきた。ことさら、参列者の感情を揺さぶるような言葉を並べて、さも亡くなった本人も無念だったことだろう、58歳という若さでお別れするのが云々、という言葉も白々しく、そんなことをその方はきっと言われたくないと思ったからだ。とにかく明るく、口は悪いけど気持ちがまっすぐな人だったから、こんなしめっぽいのも嫌いだった。なのに、何でこんな形で送らなくちゃならないんだ。そんな気持ちでいっぱいだった。
 遺影のその方は、僕が知っている最高の笑顔だった。それを見たとき、涙が出てくるのをグッとこらえた。けれども、止めどもなく流れてきた。
 
 最後に、棺の中へ献花することになった。白菊を1本係の方に渡されて、棺の中のその方は、闘病のすさまじさを物語る闘った後の痛々しい姿だった。そして棺には、僕が社会人になってはじめて仕事をした発掘現場の報告書とその方が愛用したコクヨの深緑色のSKETCH BOOK2冊が納められていた。ご遺族の方の前で涙しながら挨拶をした後、幕で仕切られた通路でしばらく嗚咽した。そして着座した後も、しばらく涙が止まらなかった。
 
 今こうして思い出されるのは、僕がふらっと訪れてもその方はいつでも歓待してくれ、そして僕のことを常々心配してくれていた。とりわけ、僕がとある賞をもらった時、所属している研究会で開いてくれた祝賀会へ来てくれたことと、4年前に僕が講演会をした後の懇談会にも参加して、あれこれと楽しい話ができたことが大切な思い出である。その方とは僕が辞めた後は一緒に仕事することはなかったけれども、10年以上の付き合いが続いたというのは、ひとえにその方の人柄があってのことだった。そして今の仕事ができるのは、その方が基礎をぼくに教えてくれたからだ。恩返しをするのは、これからなのだろう。見て欲しい時に、見て欲しい人はいないものである。仕方がないことではあるけれども。
 
 お別れ会の後、いきつけのお店でその方のために飲めないコーヒーを頼んで飲んだ。お酒もさることながら、コーヒーも好んで飲んでいた方だったからだ。いつもと様子が変だと思ったのか、お店のオーナーはいつものように話しかけてこなかった。帰宅後、その方が好きだったGrand Funk RailroadLed Zeppelinを聴きながら偲んだ。さよならは今日は言えない。けれども、近々ちゃんと言おうとは思っている。