SIM's memo

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ふたつの岸辺で

 今年は戦後70年ということもあって、関連するラジオ特番と書籍をつくる機会にそれぞれ恵まれた。ラジオ特番の取材の中で、一組の老夫婦と知り合う機会に恵まれた。
 昨秋のこと。いつも世話になっている方へ相談に行った際紹介されたのがきっかけだった。お宅へうかがうと、大きな梅の木と手入れされた畑があった。出迎えてくれた老夫婦はとても上品そうな印象だった。
 お会いする前に、世話になっている方から、老夫婦が住んでいる地域の歴史をまとめた資料を渡されていたので読んでおいた。ここは戦中は陸軍の飛行学校と飛行場があり、戦後すぐに引揚者や旧軍人などが入植した開拓地だった。
 
 お会いした時、ご主人と奥様ともに83歳。ご主人は元小学校校長。陸軍の少年飛行兵になるべく、14歳で現在住んでいる場所にあった旧陸軍の飛行学校にいた。最初はご主人の話をあれこれ2時間ほど聴いていた。貴重な資料も見せていただいた。学校の先生だったとのことで、しっかりとしたお話ぶりだった。
 帰り際、奥様から「私は朝鮮から引き揚げてきたんですよ」という話を聞いた。そうだったんだとしか思わなかった。ピンとこなかったというのが正直な感想だった。
 
 この取材の後、戦後70年特番の話がペンディングになってしまい、放送するかどうか未定となってしまった。その老夫婦をはじめ、何人かに取材した人には申し訳ない気持ちでいっぱいだった。しかし、今年の4月に急にやっぱり放送するという話になり、朝鮮半島からの引き揚げてきた人たちを取り上げることになった。今まで取材した人たちは取り上げるのを諦めた。そして2組はプロデューサーから紹介された。その時、昨秋取材した奥様のことを思い出し、再び取材することにした。今度は奥様だ。
 
 改めて事情を説明すると、大変喜んで下さりまた協力的だった。奥様は13歳の時、今の北朝鮮の咸興で敗戦を迎え、引き揚げる途中で、発疹チフスで生死の境を彷徨った。その後、38度線を越える前に追い剥ぎにあいながらも、なんとか日本へ引き揚げることができた。日本へ引き揚げた後、父親の郷里から学校へ通うも、経済的困難で退学。父親が開拓農場の事務員だったこともあり、開拓地へ入植。上品な雰囲気からは想像できないほど、苦労に苦労を重ねてきた。
 
 色々あったが、なんとか無事に番組をつくり放送することができた。先日、お礼と同録を渡すためにお宅へお邪魔したとき、とても喜んでくださった。この人たちのために完成できてよかったと心底思った。そして僕の目的はひとつ達せたかなとも思った。
 
 帰り際、いつものようにご主人が家の前を通る道路まで出てお見送りしてくれた(奥様は足の具合がよくないのだ)。大きく手を挙げ、左右安全であることを確認する姿を見るたびに、在りし日の陸軍少年飛行兵だった面影が見え隠れする。そして、その姿を見るたびに、なんだかせつなくなってしまう。あと何度この方々にお会いできるのだろう、という寂漠とした気持ちがあるからかもしれない。