SIM's memo

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花月漫読記(上)

 なんと、この「漫読記」を真面目に3カ月連続で書いてる!というか、備忘録的に書いているので、ちゃんと意識していれば書けることを改めて確認できた。さて前置きはこれくらいにして、早速列挙していこう(以下、著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社、発行年):読了日を明記)。

  1. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『水底の女』(早川書房、2017年):3月1日
  2. 黒嶋 敏『秀吉の武威、信長の武威』(平凡社、2018年):3月3日
  3. ゲンデュン・リンチェン 編(今枝由郎訳)『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫、2017年):3月4日
  4. 樋口州男『将門伝説の歴史』(吉川弘文館、2015年):3月5日
  5. 本村凌二地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫、2017年):3月7日
  6. 望月昭秀『縄文人に相談だ』(国書刊行会、2018年):3月9日
  7. 斎藤美奈子文庫解説ワンダーランド』(岩波新書、2017年):3月9日
  8. 佐滝剛弘登録有形文化財』(勁草書房、2017年):3月10日
  9. 唐澤太輔『南方熊楠』(中公新書、2015年):3月10日
  10. 井波律子『中国侠客列伝』(講談社学術文庫、2017年):3月11日
  11. 中村和恵日本語に生まれて』(岩波書店、2013年):3月11日
  12. 平野 聡『大清帝国と中華の混迷』(講談社学術文庫、2018年):3月13日
  13. 水野一晴『世界がわかる地理学入門』(ちくま新書、2018年):3月15日
  14. 樋田 毅『記者襲撃』(岩波書店、2018年):3月18日
  15. 湯浅浩史『ヒョウタン文化誌』(岩波新書、2015年):3月18日
  16. 武井弘一『茶と琉球人』(岩波新書、2018年):3月20日
  17. 田中大喜『新田一族の中世』(吉川弘文館、2015年):3月25日
  18. 鞆の津ミュージアム監修『ヤンキー人類学』(フィルムアート社、2014年):3月30日
  19. レイモンド・チャンドラー(マーティン・アッシャー編、村上春樹訳)『フィリップ・マーロウの教える生き方』(早川書房、2018年):3月30日

マーロウ的精神を外部から眺めると(1・7・10・19)

 先月に引き続き、「マーロウ」ものを再読(1)。この作品はさほど評価が高い訳ではないものの、第二次世界大戦の影響が影を落とした暗い作品だ。とはいえ、いつものマーロウ節は健在。最近、そんなマーロウ(というか、チャンドラー)語録のアンソロジーが出版された(19)。正直、チャンドラー・ファン以外はあまり楽しめないような気もするが、「こんな一文あったけなあ」と己の記憶力を試すには楽しい一冊である。
 ところで、フィリップ・マーロウ・シリーズの最新訳は村上春樹氏であるが、ここでのかれの解説文とこれまた村上もチャンドラーも好きだったスコット・フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』での村上の解説文を論じているのが7だ。チャンドラーの『ロング・グッドバイ』はとりもなおさず、『グレート・ギャツビー』の優れた解説文という指摘だけでも、本書は読んだ価値がある。そして、『グレート・ギャツビー』での村上の解説は自分語りが多いという指摘も納得。そのあたりのムラというのが、村上が『グレート・ギャツビー』に並々ならぬ想いがあったことを裏付けているように感じてしまう。
 ちなみに、マーロウものを読んでいたら、なぜだか中国の侠客のことを思い出していた。なので一読したのが10。ここでいう「侠客」は正義を重んじる「義侠」をもった人々である。そうした侠客のタイプを歴史上の人物たち(主に司馬遷史記』にある「遊侠列伝」から)や文学上の作品から紹介している。マーロウもそうだが、侠客たちはそれぞれの論理で筋を通した生き方をしてきた。かれらはアウトロー故に勝者になることはほとんどなかった。けれども、その生き方は今なお多くの人たちを惹きつけている点で、人間の複雑多面な姿を考えずにはいられない。それは決して苦々しいものではなく、どこまでも儚く悲しいが、どこまでも清々しい。

世界史の扉を開く(3・5・12・13・15・16)

 どうして読もうと思ったか忘れてしまったが、古代ローマについては常に興味を抱いている。5は10年前に出たシリーズの文庫化だ。学術的かつ読み物になっているのは、ひとえに著者の熟練された文にある。ただしある程度の予備知識がないと面白くないかもしれない。
 熟練といえば、12での文章は素晴らしい。否、文章のみではない。著者の問題意識と過去のことを語りながら、常に現代を見据えているその姿勢が信用できる。そんな訳で、こちらも清朝期も常に興味を抱いている時代のひとつだ。
 清朝を語る上で忘れてはならないのは、チベット琉球王国との関係だ。前者はチベット仏教において、後者は「冊封」という関係でだ。3はチベットよりもブータンで今なお愛されている僧ドゥクパ・クンレーの言行録。性的に破天荒(と一般の人から見れば映る)ながら、彼の理屈と行いは崇高だが親しみを感じる。硬直した雰囲気が漂う今だからこそ、この手の書籍がもつ意味は重い。そして、数ある琉球王国に関する書籍でも、16は琉球の人々が愛飲していた「茶」の視点から、琉球王国に生きた人々を語った精神史的要素が強い一冊。鶴見良行の名著『バナナと日本人』が常に傍にあったのがよくわかる。
 こうした精神史・文化史的アプローチで面白かったのが15。「ヒョウタン」は昔話にもよく出てくるのだが、実物をちゃんと見た/触れたことがある人は決して多くないのではないか。それにあのフォルムになぜ惹かれるのか、遺伝子レベルであのフォルムを愛でるプログラムが組み込まれているのでは、と思うほどである。しかしながら、世界各地で利活用されているというのは、ヒョウタンが実に優れた植物であり、また人間と切っても切り離せない深い関係だという何よりの証左であろう。
 ヒョウタンに限らず、こうした植物や人々の営みを知る上で、新刊の13は入門書として最適な一冊。地理学と銘打ってはいるが、当然ならが歴史学文化人類学と重なる部分が多い。ある部分をただ知るだけでは、対象を見失うことを改めて痛感させられる。

日本を相対化する(9・11

 世界各地の歴史を見る(読む)ということは、とりもなおさず日本を相対化することでもある。そういう意味では、今なおその全貌をとらえきれていない世界サイズの人物といったら、まず南方熊楠に指を屈する。その生涯と彼の思想の一端に触れることができるのが9だ。森羅万象あらゆるものに興味を抱く中、熊楠が常に心にあったのは人のこころと菌類のミクロコスモス的世界だった。南方熊楠関連の書籍はそれなりに読んできたが、著者のスマートな著述に好感は抱きつつも、ちょっと物足りなさが感じられた。熊楠の森は上を見れば、こんもり茂った葉っぱと立派な枝ぶりで無限空間のように思えるが、それが熊楠の最大の魅力だと思っている。
 熊楠は複数言語を読み書きできたという人物だった。言葉はその地域を生きる人たちの文化そのものである。11は英語圏を中心に、中南米へと研究や旅で巡ってきた文学研究者であり詩人でもある著者のエッセイ。日本語を当たり前のように使っているが、その当たり前がひとたび崩れた時、僕たちが使っている日本語はどうなってしまうのか。著者の思いは静かだが、ふつふつと熱く、だからこそ取り上げている内容ひとつひとつが重みがある。とはいえ、エッセイなのでふわりとした軽さもある。軽さと重さのハーモニーこそ、著者最大の魅力だろう。(続)
 
★3月で面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら(その1)。

サブタイトルが「世界の本屋さんで考えたこと」がキモ。本屋さんこそ、その地域におけるあらゆる(いろいろな意味での)「知」の集積地なのである。