SIM's memo

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言葉はこわい

 昨今なにかと話題の「生産性」なる言葉は、どうやら2018年の新語・流行語大賞にノミネートされそうな感じがして嫌である。ところで、杉田水脈衆議院議員が、『新潮45』2018年8月号への寄稿文「『LGBT』支援の度が過ぎる」の中で、「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」と書いているが、そもそもここでいう「生産性」という言葉を杉田議員はどういう意図で書いたのだろう。
 
 言うまでもなく、「生産性」という言葉は経済学の用語であり、生産活動に対する労働や資本などの寄与度、あるいは資源から付加価値を産み出す際の効率のことをいう。その背景には、少ない労力と投入物(インプット)で、より多くの価値(アウトプット)をうみたいという考えがある。
 
 さて、杉田議員がいう「生産性」と経済学でいう「生産性」は似て非なる意味が託されている。杉田議員の場合、単純に子供を「産」む=「生産性」があり、最終的には国家に益するという流れの中での意味として使っている。とはいえ、わずかながら、上記で述べた経済学でいう「生産性」の概念と呼応していなくもない。杉田議員の論理でいけば、少ない労力=1人の女性から、より多くの価値=子沢山、と置換ができそうである。ちなみに、杉田議員の論理における価値とは、「国家」に寄与するかどうか、という点にある。
 実は僕が一番恐れているのは、こうした杉田的価値観のみならず、人間の尊厳とその多様性をある言葉でパッケージ化し、ラベリングして判断を下し批判する行為のもつとてつもない威力と、言葉の持つあいまいさが結果として言葉にある意味を託しやすくしている点である。今回の一連の杉田議員による寄稿文は、その内容もさることながら、言葉のもつ威力と凶暴性をまざまざとみせつけられた。