SIM's memo

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僕の平成史(2)〜目立つがこころは開かず〜

 平成2(1990)年は14から15歳。中学2年から3年になり、もっとも情緒不安定な時期に差し掛かる。世間では「中二病」(伊集院光)なる言葉があるが、中学2年の時よりも後々の方が「中二病」の定義に当てはまるような言動・心情だったような気もする。
 
 さて、14歳の冬に生徒会長選挙に立候補「させられた」。立候補したのではない。「させられた」のだ。当時、私は何もしなくてもなぜか目立ってしまう存在で、それをうまく利用できるほど器用な人間でもなく(今でもそうだ)、よくわからないままクラスの総意として立候補させられた。にもかかわらず、応援演説を誰にするかという時、当時それほど仲のいい訳ではなかったAくんが応援演説をすることになった。今にして思うと、Aくんは比較的大人しく(というか気弱に)思われていて、彼もまた断れず、さほど仲良くない私の応援演説をしてくれたのだろう。
 選挙当日、立候補演説をやることになったのだが、何て言ったのか全く覚えてない。想像するに、ありのままに正直に「僕はやりたくないです。だから僕に投票しないでください」みたいなことを言ったのだろう。フタを開けると、私はぶっちぎりの最下位だった。とはいえ、あんなことを言ったにもかかわらず、クラスの全員が私に入れていない事実に、私は密かに打ちのめされていた。おまえら、オレがいいと思って勝手に推したくせに、結局投票しなかったのかよ、と。この出来事から、私は表面上は明るく振舞ってはいたものの、心の中では決して気を許すまいと決意した。
 
 今にして思うと、別に仲がよくない私の応援演説をしてくれたAくんのことを思えば、「僕に投票しないでください」など相手の気持ちを無視するような発言はすべきではなかった。その点は申し訳なく思っている。しかし、この時のクラスの総意という名で担ぎ上げられ、結果として梯子を外されたような気持ちにさせられた(と勝手に思った)ことは、私の心根に深くくすぶり続けた。きっと、クラスの皆はこんなことを覚えてはいないだろう。
 ちなみに、Aくんはのちに30歳そこそこで、栃木県を代表するいちご農家として大々的にメディアにとりあげられることとなる。そのことを知った時、ちょっとだけ驚いた。私は人を見る目がないのだ。(続)