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距離感としての花柳小説

 「花柳小説」というジャンルがあるようだ。本書の編者である丸谷才一によると、花柳界を舞台とする小説のみならず、バーのマダム、女給たちが懸命に生きている姿、そして私娼から男娼たちの様態までも含むとのこと。誤解を恐れずにいえば、人間関係をめぐる小説、というのがその定義なのである。
 
 ところで、丸谷才一が厳選に厳選を重ねた19編の小説たちは、玉石混淆である。井上ひさしの「極刑」に大岡昇平の「母」は正直面白くなかった。しかし、である。巻頭に吉行淳之介の「娼婦の部屋」そして「寝台の舟」をもってきたのは、丸谷が考える「花柳小説」の典型と思った方が無難かもしれない。
 「娼婦の部屋」は主人公の雑誌記者がふらっと立ち寄った娼婦街で知り合った「秋子」という女性との関係をめぐる話。「寝台の舟」は女子校教諭の主人公が同僚たちと酔っぱらった帰りに、誘われるまま一晩過ごした男娼との関係をめぐる話。この2編、いずれも「距離感」がキーとなる。いずれも深く相手にのめり込む訳ではない。一方、相手は相手なりに主人公たちとの関係を築こうとする。しかし、主人公は己の「距離感」に関係性を見いだそうとしている。
 ぼくは「花柳小説」というジャンルが本当にもしあるとすれば、吉行のこの2編こどが基準となるのではと考える。つまり、人間関係との距離から主人公が過ごす環境との距離、そして社会との距離の取り方にこそ「花柳小説」の醍醐味がある。そして両者は決してひとつになれない。そう考えると、チャンドラー的ハードボイルドの世界にも思える。チャンドラーの小説も「花柳小説」も、基本的には都市小説なのだ。己と環境との距離感にこそ、主人公たちは執着している。
 
 さて、他の作品はというと、個人的に出色だと思ったのが島村洋子による阿部定を扱った異色の短編2つだろう。女衒の稲葉正武の視点から、内縁の妻ハナと阿部定を中心に周りの人たちを眺めている。また永井荷風の「妾宅」も珍々先生が「妾宅」に己のユートピアを築き、そこから世の中を批評するという、こちらもまた「距離感」がキーとなる小説。
 本当は、本編収録の志賀直哉の作品が恐ろしいくらい退屈であることをネチネチと書きたいのだが、他日に期するとしよう。本書は吉行淳之介と島村洋子の作品を読むだけでも十分モトがとれるアンソロジーである。