SIM's memo

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M:Most of us are sad

 喜びの時は一瞬だけど、悲しい時は長く静かにひきずる。質量化してみれば、おそらく同じ割合なのだろうけど、感じ方はまったく違う。漱石の『草枕』の冒頭は有名だけど、読んでみると、ベースにあるのはロングテールのような長い長い哀しみのような気がする。そして哀しみは、結構な頻度でぐるぐると思考を遊ばせる。

 山路を登りながら、こう考えた。
 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通とおせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。

 
 自分の哀しみの気持ちよりも、大切な人が悩み苦しんでいることを考える時の方が苦しく思う。他者はその人に代わることができない。最後は本人であるのはよくわかる。だとしたら、周囲にいる人ができることは何かを考えてしまう。もしかしたら、他者の苦しみを思って哀しい気持ちになるのは傲慢なのかもしれない。わずかながらにも、救ってあげたいという欲があるからだ。本当にその人のことを考えるのであれば、何もしないでじっと離れず見守るのがいいのだろう。同情ではなく、身内のような気持ちで。
 
 今年は空梅雨なので、もう少しこころで泣いていれば、雨で土たちも潤うかもしれない。この時期の哀しみが役に立つ唯一のことである。