そろそろ読み始めようと思っているけど、いつまでたっても机上に鎮座したままの本たち
「タンスのこやし」という言葉がある。僕の場合は「机の上の防壁(北側)」が相当する。しかし、見ての通り、この防壁、結構低い!ていうことは、すぐ壊せる(=読める)のでは?と思ってしまう。ところがどっこい。近くて遠い好きな女の子のように、なかなか手が届かない。そんな、いけずな書籍たちは以下のとおり。
『とちぎメディカルヒストリー』(獨協出版会、2013年)
獨協医科大学の関係者と在野の研究者たちによる、栃木県内における文字通りの「メディカルヒストリー」。何故か編集を手がけた出版社から頂戴した。執筆者にお世話になっている方々がいるから、その関係なのだろうが、よくわからない。面白そうな内容ではある。けど、厚いなあ〜。
立川昭二『明治医事往来』(講談社学術文庫、2013年)
こちらは購入本。明治期以降のいわゆる近代化を「病」や「衛生」などから見ていくもの。以前、sexualにまつわる論文を書いた時、「衛生」観念における啓蒙の言説と怪しげな言説は紙一重であることを痛感させられた。生と死は表裏一体な訳で、そこに欲がからむから面白いのかもしれない。
大治朋子『アメリカ・メディア・ウォーズ』(講談社現代新書、2013年)
読みかけ。メディアにかかわる人間はとりあえず読んでおいた方がよさそうな、結構刺激的な一冊。ここにでてくる新聞におけるキラー・コンテンツとディジタル版課金性については、お世話になっているラジオ局の方とも話題にのぼった。地方でもわずかながら、本書で語られている「波」がきているのだ。という訳で、以下の2冊と併せて(僕的晩秋三部作)と名付けて、一気に読むことに決めた。
・小林敬幸『ビジネスをつくる仕事』(講談社現代新書、2013年)
・渡邉英徳『データを紡いで社会につなぐ』(講談社現代新書、2013年)
小泉恭子『メモリースケープ』(みすず書房、2013年)
1960年代終り頃、カナダの作曲家マリー・シェーファーが提唱した「サウンドスケープ」。この概念を元にした「メモリースケープ」なる概念が本書のテーマ。風景に音がかかせないように、記憶もまた音と風景と密接に結びついている。ここでの記憶とは、プルーストのマドレーヌ的記憶が土台である。人によって思い出はそれぞれ異なるけど、ある音楽を違う場所、違う時間ながらも共有できる可能性はあるのでは?ここが「メモリースケープ」のミソである。これも読みかけ。