SIM's memo

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古墳と神社と(2)

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     石室(石造りの埋葬施設)の入口(車塚古墳)
 
 先日、仕事でまたもや古墳&神社へ行ってきた。テーマは「大谷石」。
 

国指定史跡の2つの古墳

 下都賀郡壬生町というところは、思川・黒川・姿川という比較的大きな河川に挟まれたところ。自然の要塞として、中世には平野部ではあるが城が築かれたところである。また、国や県指定史跡を受けている古墳が多く、栃木県内を代表する古墳地帯でもある。
 古墳にはそれぞれの地域の特徴がある。栃木県内の場合、凝灰岩つまり大谷石を利用した石室であろうか。それが現地で見られ保存状態が良好な数少ない古墳が車塚古墳(壬生町)である。
 
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案内板を見ていただければわかるが、綺麗にまんまるである。造られたのは古墳時代終末期、つまり7世紀前半と推定されている。
 
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石室入口は南向き。昔も今も物件として一押しは南向きである。
 
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で、ここの古墳の一番の魅力は、石室内部に入ることができること。右下の穴は、盗掘された跡とのこと。こちらも大谷石の一枚岩を巧みに組み合わせてつくられている。内部は高さが約2m50cmくらいだろうか。写真でみるよりも、広い空間だった。ここに、この地を治めていた偉い方の亡骸を埴輪や副葬品ともども安置されていた。
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石室内部から外をみると、異界からこの世へ出て行くようか感じ。イザナギが黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)へ逃れてゆくときは、こんなイメージでこの世が見えていたのだろうか。
 
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車塚古墳と向き合うように、牛塚古墳がある。牛が寝そべっているように見えることからこの名が付けられたとか。そう言われると、見えないことはない。
 

古墳に使われていた大谷石を祀る神社

 さて、壬生町のとなり下野市石橋に、石室に利用されていた大谷石が祀られている石橋愛宕神社がある。石橋は江戸時代、日光街道の宿場として賑わったところ。その鎮守さまとして地域の人たちの崇敬をあつめている。
 
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そもそも、何故ここに石室に使われていた大谷石が祀られているかというと、明治期の東北本線の線路をつくる際、この石が使われた下石橋愛宕塚古墳を東西に分断し、昭和47年の東北新幹線建設で壊してしまったとのこと。この立派な大谷石を廃棄するのを忍びないと思った地元有志の方々によって、石橋愛宕神社に移設し石神として祀ったとのこと。
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3メートルはあろうかという大谷石。写真で見るよりもデカイ。
 
 この神社にこんなデカイ大谷石が祀られていることは、あまり知られていない。そもそも、1500年以上前の古代人たちが、こんなデカイ石を舟をつかって(だろう)運んだことに驚かされる。古墳は権力の象徴であり、死してカミとなった豪族たちが古墳のある土地の人びとを見守る役割として機能していた。昔と今の技術の格差を云々する以上に、当時の人びとのこころの有り様に思いを馳せてしまう。古墳をはじめとする旧跡を訪ねることは、人びとの精神史を巡る旅でもある。