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SIM's memo

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Y:よろこぶこと

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           九鬼周造「情緒の系図」より)
 
 人の記憶はそれぞれで違うのだろうけど、かなしみの記憶とよろこびの記憶ではどちらがより強く残っているのだろう?

 たとえば、2013年に限って考えてみると、かなしみもよろこびも半々で記憶している。では、どちらがインパクトがあったかというと、よろこびの記憶の方かなとも思う。何故だろう?かなしみもよろこびもその大きさによってインパクトが違う。そのため、記憶の数では半々だとしても、印象に残るのはその大きさによって異なるのだと思う。
 
 ところで、哲学者の九鬼周造は「情緒の系図」(1938)において、主観的感情である「嬉」「悲」をまず分析している。「嬉しい」とは、小さい完全性から大きな完全性へ移ることであり快感に属する。対して「悲しい」とは、大きな完全性から小さな完全性へ移ることであり、不快に属するという*1スピノザから拝借したという「完全性」という意味は結構わかりにくい。ここでは「感情の型」くらいに解釈しておくといいのだろう。たとえば、好きな人にあえるかどうか心配(「喜び」という型が小さい)⇒あえた!(「喜び」という型が大きい)というイメージだろうか。また九鬼によると、「嬉しい/悲しい」は心の奥に深く感じられる感情に対して、「喜び/歎き」は外に向かって表現されたものだという*2。「嬉しい」という内的な感情と「喜ぶ」という外的な感情は、互いに寄り添った感情である。しかし強度において、「喜び」の方が強い。とはいえ、「悲しい」の外的な感情である「歎き」も強さにおいては負けていない。では、印象の大きさはどこで違ってくるのだろう?
 
 おそらく「愛」なのだろう。上に掲載した九鬼による情緒の見取り図をみると、「嬉」につづく「愛」の概念が、「憐」(いたわり)から「哀」(あわれ)を通り「悲」に辿り着く。「愛」は対象に「嬉しさ」や「寂しさ」「悲しみ」を感じる時に湧いてくる感情と理解すれば、「愛」というの大きさによって印象が変わってくるのだろう。
 
 嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、寂しく感じたこと。いずれも根っこには「愛」という対象に向かってゆく感情がある。対象は人ばかりではなく、出来事でもモノでもある。どんな感情であれ、そうした感情の記憶が大きくもあり、小さくもあったとしても、それらに包まれて生きているのが人なのだろう。

*1:九鬼周造全集』第四巻、171ページ。

*2:九鬼周造全集』第四巻、174ページ。