SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

もう3年、まだ3年

 2011年3月11日。東日本大震災が起きた日。あれから丸3年。早いような早くないような3年。色んな人たちの人生を左右した震災とそれに伴う原発事故。僕の人生においても、こんな大転換を起すような出来事に遭遇するとは思わなかった。


 小学生の頃、家にあった『現代用語の基礎知識』をペラペラめくって眺めていて忘れられないことがあった。それは核の恐怖についてだった。核がもたらす影響と、もし核兵器が使われた場合の被害が図解されていた。否が応でも、小学生の僕でも理解できた恐怖。その頃、チェルノブイリ原発事故が起き、「黒い雨」がこちらにも来るといって、怖くなった思い出があった。それもあって、福島・茨城両県にある原子力発電所について学校で学習した記憶がある。子ども心にわかったのは、もし福島・茨城両県で原発事故が起きた場合、栃木県も被害は当然ながら免れない、ということだった。これはホントに恐ろしかった。夜も眠れなくなってしまった程なので、想像するのを止めた。そして、まさか原発事故は起きないだろうと楽観的に考えるようにした。しかし、現実に起こってしまった。
 
 震災直後、福島第一原子力発電所の事故のニュースを見ながら、僕は呆然とした。悪夢が現実になっていく時、あまりリアリティーが持てなかった。これが現実に起こっているような感覚が希薄だった。2001年の同時多発テロのニュースを見た時にも似たような感覚を抱いたが、その比ではなかった。正直、どうしていいか、この先どうなるかなどまったく考えられなかった。ただ、悪夢が現実になったんだ、と思ったことだけはよく覚えている。
 
 あれから3年。震災前よりもこの国がよくなったとは思わないし思えない。こういう危機的な状況な時ほど、様々な立場、様々な人たちの本性が見え隠れする。震災・原発事故直後、「頑張ろう」とか「絆」とかそんな陳腐な言葉で被害にあわれた人たちや地域をまわりが励まそうとしていた。あの時ほどではないが、今でもこれらの言葉は目につく。「絆」が以前よりも人気があるようだ。美談もネットニュースで採り上げられ配信されてもいた。被害者感情を損ねるという理屈で、自主規制というよくわからない状況が続いた。
 何かは変わった。しかし、肝心なところは何も変わってない。確実に変わったのは、それぞれの人たちの人生だけである。