SIM's memo

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心情的テロルと詩的想像力(1)

 今から91年前の1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾北西沖80kmを震源とするマグニチュード7.9の地震が発生した。いわゆる「関東大震災」である。この地震の混乱に乗じて、大杉栄伊藤野枝らを殺害した報復として、当時の戒厳司令官福田雅太郎大将を襲撃し失敗したのは、関東大震災発生翌(1924)年の同じ日だった。この襲撃の実行犯は、大杉栄とともに行動していた労働運動社の村木源次郎と和田久太郎。しかし、襲撃発生からわずか10日後の9月10日、両名は逮捕された。
 
 詩人でアナキズムについて数多くの文章を書いていた秋山清は、この襲撃の動機をかれらが革命とか、権力の転覆とかを考えていたのではなく、「関東大震災をとりまく支配者側のあまりに非人間的で厖大な惨虐行為にたいする怒りに燃えた、止むにやまれぬ行為だった」と想像している*1。つまり、秋山の言から眺めれば、かれらには大杉たちへの愛情があり、この愛情に由来する「無私の心境」が福田大将襲撃という行為をもたらしたという訳である。なるほど、これは一理ありそうと言える。この点については、(2)以降で述べることになろう。
 そうしたかれらの心情の一端を、かれらと親しくまた近い距離にいた作家の江口渙はこのように描いている。

 村木は、それなり再びぢつと眼をつむつて、ふかい沈黙に落ちて行つた。そのとき、部屋の真中で女給達が、また廻しはじめた蓄音器が、突然、ケンタツキーホームを唱ひ出した。それを聞くと、村木がまた思ひ出したやうにそつと眼を開けた。
「野枝さんが、炊事をしながら、台所でよく、あの歌をうたつてゐたつけ。」
 静かな声でかういつて、レコードの美しいメロデイに耳を傾けた村木の顔には、さみしい微笑とともに、たとえようのないなつかしさが、あるかなきかの夜霧のような、かすかな影を漂はせてゐた。*2

江口が描いたこの場面は、村木の大杉栄そして伊藤野枝に対する情がよくあらわれている場面だと思う。
 
 村木・和田によるテロ行為は、多くの人たちからすれば、単なる復讐で思想的でも高邁な理想の果ての行為とは見られないだろう。そして冷ややかな視線を集めるにすぎないかもしれない。けれども、果たしてそれだけだろうか。もう少しかれらの声を傾聴してから判断すべきではないか。幸い、村木はわずかだが文章を、和田は「酔蜂」という俳号を持つほど俳句をよくつくっていた。ここから、かれらのわずかに聞こえてくる「声」に耳を傾けながら、かれらの心情的テロ行為について見ていきたい(つづく)。

*1:『ニヒルとテロル』平凡社ライブラリー、2013[平成25]年、213ページ

*2:「虚構の花」十月書房、1947[昭和22]年、100ページ