SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

一期一曲(39)

Billy Preston "Nothing from Nothing"(1974)
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 Beatles好きにとって、Billy Prestonというピアニストは忘れられない人である。メンバー間の険悪なムードの中おこなわれた"Get Back"sessionsで、ファンキーなエレクトリック・ピアノを奏でていたのがBillyである。"5人目のビートルズ"とも言われ、解散前夜のBeatlesを支えていたと言っても過言ではない。その後、Apple Records Labelからアルバムを2枚アルバムを出したり、George Harrison主催の"The Concert for Bangladesh"にも参加したりと、とりわけGeorgeとのつながりが深かった。そういえば、2002年のGeorge追悼コンサートでも"My Sweet Lord"と"Isn't It a Pity"で感動的なパフォーマンスを披露していた。
 
 前置きが長くなった。"Nothing from Nothing"である。この曲はBillyにとって2枚目の全米No.1ヒットになった曲。当時のBillyの人気はElton Johnの人気にひけをとらない程だった。そんな自身のキャリアとして絶頂期を迎えていただけあり、演奏も曲も軽快。2分38秒に詰め込まれたPopsの玉手箱のような曲である。
 
 ちょうど今くらいの時期にこの曲が収録されているアルバム"The Kids & Me"をよく聴いていた。PVでBillyはじめ皆が楽しそうに演奏しているのが印象的だった。冬の冷たい空気にこの曲の持っている温かさと感触がちょうどよく、聴いていて心地よい。今でも愛聴している1曲。
 

キッズ&ミー

キッズ&ミー

刹那的だと言われて

 友人から「SIMさんは刹那的だからなあ…」と言われた。
これを聞いたとき、思わず考え込んでしまった。

せつなてき【刹那的】
1 時間が極めて短いさま。
2 あと先を考えず、今この瞬間だけを充実させて生きようとするさま。特に、一時的な享楽にふけるさま。「―な生き方」(デジタル大辞泉より)

友人が言っていたのは、上記の2を指して言っていたのだろう。確かに享楽主義的だと自覚はしている。そこには、何らかの諦めのようなものがあると思っている。しかし、さらに考えてみたら、自分自身の中には、刹那的なものと無常的なものがコインの表裏としてはり付いている。物事も人の気持ちも常にとどまることなく変移している。とはいえ、無常から永遠なるもの追求しようとする心性は僕にはない。そのあたりが刹那的なのであろう。
 
 大切な人やものを失うのがとても怖かった。昔からそうである。だからこそ、その時その時を悔いなく過したい。九鬼周造が『「いき」の構造』で語るような、双方が交わることのない二元性のはらむ緊張感にこそ、敢えて永遠なるものを見いだそうとする可能性があるのだろうし、刹那的な心性が僕にはあるのだろう。この瞬間こそ、自分が生き生きとしていると感じるんだな、と改めて思う。
 
 図らずも、友人は僕という人間のもつ本質的なものを言ってくれた。僕自身、うすうす気づいていたことを目の前に改めてつきつけられて、今さながらがに深く納得し、こういう生き方をしばらくは変えるつもりもないし変えることもできないのだろうな、と諦めの気持ちがある。これでいいと思っている。

年末恒例行事がやってくる

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 師走に入り、今年も恒例行事のための準備に取りかからなくてはならなくなる。年末に収録する音楽番組(AMラジオ)で紹介するための選曲だ。気がつけば、今年で4回目。一介の素人に4回もゲストとして招いてくれるパーソナリティーのMさんに感謝しなくてはならない。
 
 で、一応毎年テーマみたいなものを自分では設けて選んではいるのだが、今回はどうしようかと夏から悩んでいた。悩んでいたけど、晩秋のある日に「これにしよう!」と思ったのがPower Popを中心とした選曲。僕の音楽の産湯はThe Beatlesなのだが、その成分を調べると、やっぱりPower Pop的メロディアスだけどノリがよいアップテンポの曲が好きなのである。ひとつ原点回帰ということで、以下のラインナップにしてみた。

  • Badfinger “Just a Chance”(Wish You Were Here:1974)
  • Buzzcocks “Ever Fallen in Love(With Someone You Shouldn't've)”(Love Bite:1978)
  • The Smith “This Charming Man”(Single:1983)
  • Squeeze “Is That Love”(East Side Story:1981)
  • 近田春夫&ハルヲフォン “東京物語”(電撃的東京:1978)
  • Matthew Sweet “Girlfriend”(Girlfriend:1991)
  • Silver Sun “Hey Girlfriend”(Neo Wave:1998)
  • Raspberries “I Wanna Be with You”(Fresh:1972)

 Power Popをテーマに選曲しようと決めた段階では、具体的にどれを取り上げようか決めていなかった。けれども、先週末にパズルのピースがすーっとはまるようにうまくはまることができた。ポイントは近田春夫&ハルヲフォン。ここがあるのとないのとでは、何か物足りなさがある。そしてもうひとつ、裏テーマがあるのだが、これは内緒だ(もったいぶる程ではなのだけど)。
 さて、今回はどうなるのやら。他のオトナたちの選曲を楽しみにしつつ、体調をととのえて週末を迎えたい。

一期一曲(38)

The Style Council "The Lodgers (or She Was Only a Shopkeeper's Daughter)"(1985)
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 1985年の初夏に発売された"Our Favourite Shop"は、The Style Councilの最高傑作と呼ぶに相応しいアルバムであり、当時のイギリスを代表するアルバムでもある。個人的には、飛び抜けてこの曲が好きというのはないのだが、バランスのよさや飽きのこない構成、おしゃれなサウンドと過激な歌詞というバランス等で好きなアルバムの1枚である。その中で1曲選ぶとすれば、色々迷ったのだが、今回選んだ"The Lodgers"にした。
 
 この曲に限ったことではないのだが、"Our Favourite Shop"は僕には深まりゆく秋のにおいがしてくる。購入したのがちょうど今頃ということもある。けれども、アルバム全体の雰囲気がからりと突き抜けるような青空ではなく、秋の曇り空を思い出させる。それを象徴しているように(少なくともサウンドに関して)思うのが"The Lodgers"である。ヴォーカルはPaul Wellerと当時の奥様であるD.C.Lee。80'sの雰囲気を感じさせる曲である。
 
 "Our Favourite Shop"というアルバムは、想い出を閉じ込めて、現在に届けてくれるアルバムとは思わない。当時よく聴いていた情景や雰囲気をそのままとどめているアルバムである。今聴くと、斬新だとは思わないが、このアルバムが発表された1985年という時代と僕が購入した時がそのままパッケージされてしまった一枚として、アルバムのタイトルよろしく、そのままお気に入りのお店に飾られているようなアルバムだと思っている。
 

アワ・フェイヴァリット・ショップ(紙ジャケット仕様)

アワ・フェイヴァリット・ショップ(紙ジャケット仕様)

一期一曲(37)

The Smiths "This Charming Man"(1983)
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 The Smithsというバンドは、よくも悪くも(というかそれが全てなのだが)ヴォーカルのMorrisseyとギターのJohnny Marrというふたりの個性による花火をエネルギーとしていたなあと思う。そして、Morrisseyの書くひねくれるけどウィットに富んだ歌詞とJohnny Marrが奏でる変幻自在のギターと彩り豊かなソングライティングこそが、The Smithsの真骨頂だった。とりわけ、2枚目のシングルでかれらの紙価を高めた曲でもある"This Charming Man"を聴くと、そんなことを思う。
 
 繊細だけど攻撃的なイントロのギターではじまり、The Supremesの"You Can't Hurry Love"でおなじみのドラミングとベース・ライン。そしてMorrisseyのやや野太くもガラスのように脆そうな歌声。これらがひとつとなり、この曲でしか出せないグルーヴ感でもって"This Charming Man"は構成されている。懐かしき80'sのイギリスのミュージック・シーンの空気が漂ってはいるけれども、それを抜きにしても今なお新鮮な輝きを失っていない。個性と緊張感が大切である何よりの証である。
 
 僕がはじめてこの曲を聴いたのはいつだったのだろう?と思い出そうとした。おそらく20代半ばだったのではないかなと思う。はじめはMorrisseyの歌声に馴染めなかったが、Johnny Marrのカラフルなギター・プレイと曲にだんだんと魅了されていった。この曲は不思議と、その時々の記憶が結びついておらず、聴く度に純粋に向かいあえる稀有な曲なんだなあと改めて実感している。記憶に覆われることの多い曲のなかで、それはとても貴重だと思っている。だから、いつまでも聴いていたいなと思う。
 

記憶の結晶

 昨日の午前、そぼふる雨の中、戦争体験者の証言を録るためにとある女性の方のお宅へうかがった。その方は大正14(1925)年生まれだから、今年で89歳。ご自宅の急な階段をすいすい昇っていく姿に僕が呆然としていると、「いつも昇っているから元気なんですかねぇ」とおっしゃっていた。
 さらにお話を伺うと、どうやら旅行がとても好きで、昨秋にはやく3ヶ月半かけて豪華客船で世界一周をしてきたとのこと。さらに、数日前にはフェリーで高知〜大分を経由して瀬戸内海の島々を巡ったとのこと。まったくもって、このヴァイタリティーの源はなんだろうとさらに尋ねると、ずばり「好奇心」とのこと。頭が下がる思いがした。
 
 あれこれと雑談しつつ、無事なんとか証言を収録し終わった後、古いアルバムを拝見させていただいた。大空襲の前に防空壕へ隠しておいて、戦火を免れた貴重な記憶の結晶である。自分が生まれ育ったをこころから愛しているその方にとって、幼い日のかわいらしい姿や近所に住む友だちとの写真から、その方の幸せな記憶がこちらにも伝わってきた。さらにページをめくり女学生時代の写真になると、その多くが自然な笑顔のカットが多かった。かわいらしく、好奇心旺盛な表情がとても印象的だった。帰る前に、記録用に写真を撮影した。「やっぱり笑顔がいいよね」と言いながら、レンズ越しから見えるその方の表情は、70年以上前のあの写真たちの表情そのままだった。
 
 一段と激しく降る雨の中を車で帰りながら、その方が大切にもっていたアルバムに残された彼女の表情と先ほど僕が撮影した表情を交互に思い出していたら、ふいに涙が出てきた。そしてしばらく泣き続けていた。こんなに泣いたのはいつ振りかわからないくらい泣いた。
 何故涙が出てきたのかわからなかった。時の流れの残酷さを思って泣いたのでもない。時間を超えてなお、同じ笑顔であり続けていたその姿が僕のこころへダイレクトに伝わってきたのだろう。そして、彼女の幸せな記憶の結晶としての写真を通じて、ベンヤミンがいうところの「集合的無意識」へと直結し、僕のこころの奥にしまったあったと思われる幼い日々の記憶へとつながっていることを身体的に反応したのかもしれない。
 けれども、何故あそこまで泣いたのか、いまなおはっきりわからないでいる。

一期一曲(36)

Buzzcocks "Ever Fallen in Love (With Someone You Shouldn't've)"(1978)
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 1970年代中頃よりアメリカとイギリスでほぼ同時に起こったPunk Movementの中でひときわ異彩を放っていたのが、イギリスのバンドであるところのBuzzcocksであろう。かれらを見ればよくわかるのだが、フロントにたつPete Shelleyはどう見てもぱっとしないなで肩のオッサンにしか見えない。歌声も何だかすっとんきょんな感じ。けれども、キャッチーだけどどこか知的でひねくれた歌詞はイギリスにおけるミュージック・シーンの王道を歩んでいる。そんなかれらの最大のヒット曲が今回とりあげた曲。何度も言うが、見た目がまったくぱっとしないのに、奏でるメロディーと演奏には疾走感がある。このギャップがかれらの最大の特徴(長)だと言える。
 
 "Ever Fallen in Love"は6枚目のシングル曲。実はかれらの初期の曲は荒削りだが、魅力溢れるものが多い。デビュー曲の"Orgasm Addict"はまじりっけなしのPunkなのだが、どこかポップでわかりやすい。かれらの先達はBeatlesなどのイギリスのギター・バンドであることがよくわかる。そして、Buzzcocksのもうひとつの特徴が1920〜30年代のドイツの藝術学校Bauhausなどの構成主義的でモダンなジャケット・デザイン。かれらのセンスのよさは他のバンドとは一線を画していた。
 
 個人的には、20歳の秋によく聴いていた。若い頃にありがちな、モヤモヤとした行き場のない感情をかれらの音楽を聴くことでちょっとだけでも解消されていたような気がする。どこか懐かしさがかれらの音楽にはいつも漂っていた。
 

ラヴ・バイツ

ラヴ・バイツ

一期一曲(35)

Average White Band "Cut the Cake"(1975)
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 スコットランドといえば、ウィスキーにタータン、そしてソウル(リズム&ブルース)である。あまり知られていないが、スコットランドではソウル(リズム&ブルース)がかなりもてはやされていたという。その中でも1970年代のスコットランドで、白人のソウル・バンドとして活躍していたのがAverage White Band(AWB)である。とりわけ、かれらの持ち味であるソウルフルでファンキーかつメロウなサウンドを聴かせてくれるのがアルバム"Cut the Cake"。中でもタイトル・トラックはその何よりも象徴的な1曲である。
 
 このアルバム発表の前年、ドラムスのRobbie McIntoshがドラッグの過剰摂取で亡くなり、急遽Robbieの友人だったSteve Ferroneが加入した。当初Steveはバンドの名前と自分の黒い肌色がバンド・イメージと合わないとして加入すべきか否かかなり悩んでいたという。しかしメンバーたちの強い要望もあり加入を決心したという。結果的にSteveが加入したことで、皮肉な話だが、AWBのリズム・セクションが骨太かつファンキーになった。そしてかれらを代表する1枚として好セールを記録。ソウル愛好家の高い評価を受けた。プロデューサーはソウルの名門AtlanticのArif Mardin。AWBの音がタイトかつメリハリがあるのは、Arifの手腕と評価していいだろう。
 
 秋が深まるにつれ、僕はこのアルバムを聴きたくなる。Alan GorrieとHamish Stuartのハーモニーとリズム&ホーン・セクションの絡まり合いが落葉を踏みしめるように心地よく聴くことができる。そして何よりも、Cut the cake and please let me eat!と叫びたくなる。名盤なので、リマスター盤&紙ジャケット化を切に要望したい。
 

カット・ザ・ケイク

カット・ザ・ケイク

一期一曲(34)

Steely Dan "Doctor Wu"(1975)
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 Steely Danはするめみたいなバンドである。聴けば聴く程味わいが深くなる。はじめて聴きはじめた時から20年以上経ってもなお、新しい発見がある。その中でも、はじめてSteely Danを聴いたアルバムが「うそつきケイティ」の邦題がつけられている"Katy Lied"に収録されているこの曲がたまらなく好きだ。
 
 派手さはない曲である。けれども、ピアノ(たぶんMichael Omartian)・ベース(Chuck Rainey)・ドラムス(Jeff Porcaro)のアンサンブルが終盤に向かって徐々に激しくなってくる。この緊張感がたまらない。わずか4分余につめこまれた魔法のような楽曲。"Katy Lied"を象徴するような一曲である。
 
 "Katy Lied"というアルバムは決して大作ではない。けれども、名うてのミュージシャンをうまくさばき、使いこなしながらも、バンドの形態をもなんとか壊さないでやっていこうとしているところが特徴である(だから、裏ジャケットを見ると、主要メンバーの顔写真がある)。これを中途半端という人もいるかもしれない。けれども、完璧主義ともいえるスタジオ・ワークとバンドにしかだせない緊張感がないまぜになった過渡的なアルバムとして、他のSteely Danのアルバムにはない魅力を今なお輝きつづけている。
 

うそつきケイティ(紙ジャケット仕様)

うそつきケイティ(紙ジャケット仕様)

思い出すことなど(15)

 先日、実家に帰った時、高校の学校誌が雑然と置いてあるのをみつけた。手にとり中身を読んでみると、創立90周年記念でいつもの年よりも少し厚めの仕上がり。各クラスごとにテーマを与えられ論文のようなエッセイのようなものを寄稿してあった。目次を見ると、なんと僕が書いているではないか。しかも「昨今のわが高の進路状況」というまったくもって面白くもないものを書いていた。何故こんな面白くもないことを書いていたのだろう?と思いつつ読んでみる。やっぱり面白くなかった。今とまったく変わらないことをこの時点でやっているのだから、因果なものである。
 懐かしいなあという思いもそこそこに、編集後記を見ると、どうやら僕は編集委員だったようだ。なるほど、だから書いていたのだ。その当時のことを一所懸命思い出そうとしたけど、まったく思い出せなかった。
 
 先にも書いたが、高校2年の時点で今と変わらないことをやっているという点について、ある人からすれば、やりたいことやってるんだから羨ましいですね、と言うだろう。しかし、高校2年の時点では、一刻も早く野郎ばかりの高校生活と別れて大学生活へ移りたかった。高校の3年間は、どこかへ収監されていたようなくらーい気分だった。
 
 そんなものを読んでから、毎晩夢で高校時代の風景が出てくるようになった。「わー、懐かしい♡」などまったく思わず、ただただ夢見が悪いだけだった。おっさんになって、色々悲しいことも身体もままならないことも多くなってきた。けれども、僕にとっては、もう二度とあの時に戻りたくないという気持ちだけは強烈に残っている。なので、楽しい高校生活を過ごされた方々を見ると、羨ましさと妬みがないまぜになったドロッとした感情が溢れてくる。なので、精神衛生上よろしくない。そういう時は温泉にでもつかって、のんびり何も考えないようにしようと思って、よくいく温泉施設へ行ったら、あいにく休館日でさらに悶々としてしまった。最近の話である。