SIM's memo

Books, Foods, Rock 'n' Roll…and more!

結局、うまく休めていない

 今日は休日だったが、なんだか休んだ気がしなかった。なぜなら、以下の行動を見れば、その一端がわかるだろう。

  • 午前9時半、所用があり実家に。ソファーに愛猫りんご(♀もうすぐ19歳)がぐにゃーっと横になっていた。「りんご」と呼びかけても無視。用が済み、帰る間際にまた「りんご」と呼びかけても無視。悔しいので、鼻の頭を軽く撫でながら、喉元をさするとゴロゴロいっていた。で、もう1回呼ぶも無視。
  • 昼に松屋ポークソテー定食を頼む。今ならライス大盛り無料とのことで注文するも、「大盛りは60円になります」と言われ、「あ、今は無料だというので・・・」と言いかけると、ベテランさんらしい店員から、「今は無料だから!」と注意され、「失礼しました〜」とかるーく言われる。
  • 午後、高校の大先輩でお世話になっている方と一緒に、お世話になっている方の講演会へ行く。講演終了後の質疑応答で、おばさん2人とおっさん1人の質問が、聴衆の面前でする内容ではなく(いずれも、感想と会場が遠いからまちなかでやってくれという要望)なんだかなあっと思う。
  • 夕食に行きつけの餃子屋さんへ。お店の油の臭いで気持ち悪くなりそうになるも、餃子がうまいのと店のおばさんがいい人なので救われる。

さて、これでリラックスできた休日と言えるだろうか?別に用をこなしたような感じがするだけだ。しかも、読書をまだしてもいない。これから風呂に入って、ハーゲンダッツのストロベリーを食べて、明日からの怒涛のヘラヘラweekに備えよう。

息抜きの方法がよくわからない(承前)

 そんな訳で、昨日市内の大型ショッピングセンター内にある書店へ足を運んだ。目的は一昨日発刊した担当本チェック。人文系・郷土本系はどうしてもあまり目立たない棚に置かれてしまう。ここの書店は、土曜日ということもあり賑わってはいたものの、棚周辺には誰もいなかった。
 私の担当した本は表紙カバーは目立つようにしたにもかかわらず、なんだか目立たない場所に置かれていた。なので、なんのためらいもなく目立つ場所に勝手にかつこっそり移動。ライバルの出版社の書籍を横目にみながら、ライバルの出版社の書籍をじんわり目立たない場所へ追いやる。果たして、こんなことをしたところで、一人でも多くの方たちの手に届く訳ではないのは痛いほどわかっている。だけど、やらずにはいられない。広大すぎる荒れ野を先が見えないとわかりながらも、実りの秋を信じて耕すようなものである。
 
 結局、書店へ行っても仕事のようなことをしてしまい、息抜きができなかった。曇天の下、ドライブをしようとするも、今一つ気持ちものらないし、ましてカフェやら喫茶店やらでお茶しながら読書もしたい気持ちも失せていた。気がつけば、ずっと目眩に似たクラクラするような感覚がある。首や肩甲骨が凝っているのが自分でもわかるくらい。なんだかなあ、である。
 
 やっぱり、1日くらいは仕事のことなど何もかも忘れるような状況をつくらないとダメかもしれない。パフォーマンス向上という意味でも必要なのだろう。

息抜きの方法がよくわからない

 どうも自分が思っている以上に、精神状態が不安定らしい。自分でいうのもなんだが、表面上は焦ったり目に見えてイライラしているようには見えてない(と思う)。けれども、どうもうまく息抜きができていないんだろうな、と思ったりしている。
 
 今までは、喫茶店などへ行っても落ち着かず、飲み物や食べ物をいただいたら、すぐに店を出ていた。否、そもそもそういうところへは行かなかった。しかし、40を過ぎて小金が多少できたせいもあろうが、喫茶店で読書したり、こまごまとした仕事をしたりして、気づくと2〜3時間経っていたということがよくある。しかも、とても落ち着いた気分で読書など集中していることに気づいた。今更ながら、きっとこれが自分にとっての息抜きなのだろう。
 
 最良かつ最上の贅沢な息抜きは、おそらくどこか遠くへ行くということなのだろう。時間など俗世のしがらみから解き放たれることが許されるのであれば、旅にでたい。そういえば、今年は何かにつけて「どこかへ行きたい」と言っているような気がする。精神的な疲労がかなり蓄積されているのだろう。
 時間の使い方、うまい息抜きの方法を会得したい。そもそも、これって意識して会得できるのだろうか。そんなことを書いていたら、どこぞのアヤシイセミナーから勧誘されそうだが、根がめんどくさがりやなのできっと行かないし、聞く耳ももたないだろう。
 そんな訳で、気分転換も兼ねて書店へでかけてみた。(続)

今年ももう半年終わっちゃったよ、参ったなあ〜

 今日から7月。もう2018年も半分終わってしまった。早いぜ、2018年。しかも、ここ数日何が驚いたかって、6月中に梅雨が明けたこと。生きているうちに、6月梅雨明けを経験するとは思いもしなかった。そんな訳なので、6月はとにかくバタバタしていた。5月31日に横浜アリーナでマジ歌ライブへ行ってから、アップダウンの激しい日々を過ごしていたので、6月はあまりいい意味ではなく、夢のような日々だった(厳密に言えば、5月31日からかもしれない)。6月に起きたことを以下に備忘録的に記載しておく。

  • 預かっていた90年ほど前のさる著名な方々を撮影した写真(プリント)の右端がなんらかの原因で破損してしまう。だれがやったかはわからないが、所蔵者の寛大なるご配慮とこの写真を使うために奔走した著者の懐の深さを差し引いても後味の悪い状況になり落ち込む。
  • さる有名な神社の広報担当者に、目下の企画について内政干渉かと思うくらいのダメだしをくらい落ち込む(しかも、指摘された数々が悔しいかな正鵠を射ていた)。
  • 自分が思っていた以上に、テキトーでチャラい人間だとわかり落ち込む。
  • 読書がまったくはかどらず、気持ちがさざなみだっている。
  • この人がいなかったら今の僕がいないと言っても過言ではないくらい大変世話になっている研究仲間が、かなり重篤な病と闘っていることを知り、いまだにその事実を受け入れらずにいる。

ざっとこんな感じ。「なんだ、そんなのよくあることじゃねーの?」と突っ込まれそうだし、それはそうなのだろうけど、真綿で首を絞められるように、僕から雀の涙ほどの自信を奪い取っていっているような感覚になりげんなりしている。
 
 とはいえ、焦るとよい方向へはいかないだろうから、THE ALFEEの"メリーアン"を歌いつつ(結構唄えた)、脳内では意味もなくラッツ&スターの"め組のひと"が流れてしまう日々ではある。

花残月漫読記

 ♪April come she will〜って歌ってのはSimon & Garfunkel(のArt Garfunkel)だが、まったく早いもので世の中はGWです。そんな中でも、今回も何を読んできたかを列挙していこう(以下、著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社、発行年):読了日を明記)。

  1. 野村 玄『豊国大明神の誕生』(平凡社、2018年):4月8日
  2. 梨木香歩海うそ』(岩波現代文庫、2018年):4月22日
  3. 堀川惠子『教誨師』(講談社文庫、2018年):4月23日
  4. 若林 恵『さよなら未来』(岩波書店、2018年):4月25日
  5. 松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社、2017年):4月29日

 
 1は豊臣秀吉没後に朝廷から与えられた「豊国大明神」をめぐる問題を丁寧に読み解いている。気鋭の歴史学者だけあって、問題設定(意識)も仮説を丁寧に積み上げ、証明していくところは面白い。
 2は南九州の架空の島を舞台に、昭和初期に調査に訪れた人文地理学者を主人公にした小説。木々や虫、鳥たちの描写は言うに及ばず、主人公を取り巻く島に暮らす人々を描く筆致は、どこまでも透明に思えた。かつて、島に暮らす人々が身近に感じてきた神々の息吹が、明治期の廃仏毀釈と政府による国家神道という制度によって押さえつけられていく。その中でも、敗戦を経て、高度成長期を迎え、島が開発されていく様を50年後に訪れた主人公のなんともいいようのない無力感と寂寞感は、主人公が若き日に触れてきた島の人々が持っていた透明感と対称的に思えた。
 3は重い書籍である。本書の主人公である僧侶で教誨師の渡邉普相の半生は、僕たちと同じく、人間的な余りに人間的なものである。そう思わるのは、渡邉を教誨師の道へと誘った僧侶・篠田龍雄の生き様である。とりわけ、印象深かったのは以下の箇所である。死刑執行が再開された昭和42年10月、篠田が教誨師として、小菅刑務所で死刑執行に立ち会った際の話である(渡邉は初めて死刑執行に立ち会った)。

「先生!私に引導を渡して下さい!」
刑務官たちの手が止まった。みなが篠田の顔一点を凝視した。渡邉は焦った。浄土真宗に「引導」などない、どうする。すると篠田は迷いなくスッと前に進み出た。そして桜井に正面から向き合った。互いの鼻がくっつくほど間合いを詰め、桜井の両肩を鷲摑みにして、しゃがれた野太い声に腹から力を込めた。
「よおっし!桜井さん、いきますぞ!死ぬるんじゃないぞ、生まれ変わるのだぞ!喝ーっ!」
桜井の蒼白い顔から、スッと恐怖の色だけが抜けたように見えた。
「そうかっ、先生、死ぬんじゃなくて、お浄土に生まれ変わるんですね」
「そうだ、桜井君!あんたが少し先に行くけれど、わしも後から行きますぞ!」
潤んだ両の目に、ほんの少しだけ笑みが浮かんだと思った途端、その笑みは白い布で隠された。そこからは、わずか数秒のことだった。(240ページ)

生きて償えないほどの罪を背負った死刑囚たちが死刑になるのは、犯罪のことを考えると当然だという意見もあろう。けれども、人が、制度の下で命を奪うというのはどういうことなのか?この問いは僕たちひとりひとりに突きつけられていた問いであることを、改めて痛感させられた。
 篠田は終生、虫はおろか、木々の枝をも折ったり切ったりすることを忌み嫌うほど、徹底して命を大切にしてきた僧侶だったという。
 
 さて4と5である。4は、僕が唯一定期購読していた『Wired』という雑誌の日本版編集長として活躍していた人の原稿をコンパイルした書籍。やや玉石混交感は否めないものの、キラリと光る文章は視点が数多くあり、2段組で500ページ以上というかなりのヴォリュームだが、一気に読める。
 5は僕と同い年の文化人類学者がエチオピアで経験したことを通じて、人と人とがかかわり生きていくとは何か?を「うしろめたさ」をキーワードに綴った書籍。個人的には、エチオピアでのエピソードの方が断然面白く、また活き活きしていると思った。
 新緑がきれいな5月である。仕事がいきなり忙しくなったが、どんな書籍を読もうか楽しみながら過ごしたい。
 
★4月で面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら。

教誨師 (講談社文庫)

教誨師 (講談社文庫)

一気に読まずにいられなくさせる筆致と構成に言葉を失くします。

今になって気づいた転機

 先日、親しくさせてもらっている年上の方と温泉へ行ってきた。ちょうどよい湯加減の露天風呂へ行き、頭にタオルをのせながら、音楽の話題、そして高校時代の話に流れた時のこと。

SIM:「高校1年の頃、まわりとはかけ離れてFacesとSimon & Garfunkelを聴いていたんすよ。だから、結構こじらせていたと思うんです。いろんなことを。あ、だけど、こんな僕にも告白をしてきてくれた女の子がいたんす」
年上:「へぇー、で?」
SIM:「朝、電車の中で、知らない女子高生からいきなり、『友達があんたのこと好きだと言ってるんだけど、話してくんない?』って言ってきて」
年上:「SIMくんに話しかけてきた女の子って、ヤンキーなの?」
SIM:「いえいえ、ソフトボールやっていたショートカットの女の子で、顔見知りではあったんす」
年上:「で、SIMくんはどうしたの?」
SIM:「とりあえず、好きだと言ってきてくれた女の子ととちょっと話して、なぜか僕が自宅の電話番号を教えて彼女がかけるという状況になっちゃったんですよねぇ」
年上:「で、向こうは電話かけてきたの?」
SIM:「はい。その日のうちかどうか忘れちゃったんですが、電話かけてきてくれて。ドキドキしましたよ」

その電話でその奇特な彼女から告白されたのだが、何せどういう人で、どんな性格の女の子なのだかわからないので(ただ珍しい苗字だった)、いいも悪いも答えられなかった。なので、ヘラヘラと「あ、ありがとう」と童貞感まるだしでお礼をいったのは覚えている。
 
 さて、問題はここからである。今の僕なら、好きでも嫌いでもなければ、男子校の薄暗い生活から抜け出せる一条の光のようなこの出来事にすがりついて、付き合えばよかったのである。しかし当時、FacesとSimon & Garfunkelとサディステック・ミカ・バンドとBadfingerをこよなく愛していた僕は、彼女と付き合うことをせず、カッコつけてしまったのだ。こじらせ感、ここに極まれりである。
 人によっては、お前が彼女と付き合うと判断しなかったのは、ふつーだと言ってくれるかもしれない。しかし、もしここで彼女と付き合っていたら、こうしてこのネタを広大無辺のインターネット世界の片隅で書くこともなかったろうし、音楽関係のラジオ番組に出ることもなかっただろうし(まして、Facesやサディステック・ミカ・バンドの特集をやるなどなかっただろう)、出版関係で働いてもいなかっただろう。そんなことを年上の方に話したら、「そりゃあ、そうだよ。間違いなく、やってないで、ふつーにサラリーマンになって結婚してただろうね」と言われてしまった。
 
 今にして思えば、あの時彼女と付き合っていたら、僕の人生は今とは景色を見せていただろう。人の痛みにも、少しは早く気づけたかもしれない。そんなことを星が見える夜空の下で、頭にタオルをのせたおっさんが、付き合わなかったという事実を自分の人生の転機だと確信したのだから、そうなのだ(根拠のない自信だが)。
 
 彼女が今何をしているかわからない。きっと幸せに暮らしているのだろう。今あったとしても、きっと僕のことなぞ覚えてないはずだ。覚えてないはずだが、当の僕はというと、どういう因果か、彼女と同じ苗字を冠した神社を目下の企画本でとりあげようかどうかと、ずっと逡巡している。

花月漫読記(下)

  1. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『水底の女』(早川書房、2017年):3月1日
  2. 黒嶋 敏『秀吉の武威、信長の武威』(平凡社、2018年):3月3日
  3. ゲンデュン・リンチェン 編(今枝由郎訳)『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫、2017年):3月4日
  4. 樋口州男『将門伝説の歴史』(吉川弘文館、2015年):3月5日
  5. 本村凌二地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫、2017年):3月7日
  6. 望月昭秀『縄文人に相談だ』(国書刊行会、2018年):3月9日
  7. 斎藤美奈子文庫解説ワンダーランド』(岩波新書、2017年):3月9日
  8. 佐滝剛弘登録有形文化財』(勁草書房、2017年):3月10日
  9. 唐澤太輔『南方熊楠』(中公新書、2015年):3月10日
  10. 井波律子『中国侠客列伝』(講談社学術文庫、2017年):3月11日
  11. 中村和恵日本語に生まれて』(岩波書店、2013年):3月11日
  12. 平野 聡『大清帝国と中華の混迷』(講談社学術文庫、2018年):3月13日
  13. 水野一晴『世界がわかる地理学入門』(ちくま新書、2018年):3月15日
  14. 樋田 毅『記者襲撃』(岩波書店、2018年):3月18日
  15. 湯浅浩史『ヒョウタン文化誌』(岩波新書、2015年):3月18日
  16. 武井弘一『茶と琉球人』(岩波新書、2018年):3月20日
  17. 田中大喜『新田一族の中世』(吉川弘文館、2015年):3月25日
  18. 鞆の津ミュージアム監修『ヤンキー人類学』(フィルムアート社、2014年):3月30日
  19. レイモンド・チャンドラー(マーティン・アッシャー編、村上春樹訳)『フィリップ・マーロウの教える生き方』(早川書房、2018年):3月30日

*著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社、発行年):読了日を明記。

日本史の森を分け入りながら(2・4・6・17)

 平凡社から昨年(2017)からはじまった「中世から近世へ」シリーズは、個人的には数多あるシリーズ本の中では出色だと思っている。内容や執筆陣もさることながら、カバーデザインなどの装丁や使用している紙、版組みに編集者のこだわりと愛情が感じられる。2もそのシリーズの一冊。「武威」という言葉はなかなか聞きなれない言葉だが、信長や秀吉がいかにして「武威」という目に見えぬ波動(と敢えて述べよう)で統治していこうとしたのかを丁寧に論じている。とにもかくにも、武威を武威たらしめているのは情報戦をいかに勝ち抜くかに尽きるのではないだろうか。
 歴史の分野でのシリーズものといえは、老舗中の老舗である吉川弘文館の「歴史文化ライブラリー」も負けてはいない。仕事で参照する必要が出たので、4と17をほぼ同時期に読んだ。4は平将門という怨霊界のヒーロー?がいかに語られ信仰されてきたかを論じている。個人的には、やや物足りなさを感じた。「伝説の歴史」と銘打っているのであれば、大きな物語ではなく、例えば地方の残されている伝承について検証し、将門を介した人々の信仰と想像力についても触れてもよかったのでは、と思ったためである。17は敗者のヒーローともいうべき新田義貞を輩出した中世期における新田一族の興亡について語っている。同族の足利氏とどこで差がついたのか?たぶんに偶然的要素もあったものの、かれらもまた時の政治的潮流に翻弄されつつ、地盤を固めながら一族存亡のために闘い抜いてきたのがよくわかる。新田一族という特定地域に根付いていた集団について語りながら、歴史はいかにストーリー化され、それが事実化されていくかを検証している点でも本書は結構考えさせられる一冊だ。
 ところで、歴史物と言っていいのだろうか、6は昨今の縄文ブームを笑いと本気で軽やかに歩く一冊。フリーペーパー「縄文ZINE」の発行人である著者が、迷える現代人の悩みを縄文人の視点からぶったぎっている(このテイストは、みうらじゅん田口トモロヲのユニット「ブロンソンズ」による『ブロンソンならこう言うね』(ちくま文庫)と同じである)。とはいえ、随所に「縄文」への愛があるので許されるし、結構これで縄文時代の特徴はわかると思うので、新しい啓蒙書とも言っていいのだろう。
 

さまざまなジャンルから「今」を知る(8・14・18)

 さて、歴史は過去の出来事や物語を通じて今を知り、そして来たるべき未来についてどのように歩んでいくかの指針になる。そういう意味では、14のノンフィクションで扱っている事件は決して過去の事件ではなく、現在進行形の事件であり歴史の1ページを構成しているといえる。問題の真相(層)はどこまでも昏く深い。そこを30年余り追い続けている著者のひとまずの中間報告でもあり、悔恨の書とも言える。時間は戻らないからこそ、ノンフィクションというジャンルは生まれたことを思い知らされる。
 過去のレガシー(遺産)をどのように活用するか?これはその地域の文化を次に繋いでいくための課題である。8は名前は聞いたことがあるけど、その制度の実態がいまひとつわからない人のための入門書と言っていいだろう。文化財と国などの行政からのお墨付きには、主に「指定」と「登録」制度があるが、「登録」はこの歴史遺産は文化財として国からお墨付きをいただいた方がいいと思ったわれわれが、所在の県を通じて国に願い出る制度である。それゆえ、「指定」と比べて文化財への間口が広いため、さまざまな文化財が「国登録」として文化財と認められている。本書を読むだけでも、あそこに行って見てみたいと思わせるのは、その地域の文化の底力である。まずは多くの人たちに文化財に関心を持ってもらうことが、後世へ文化財を伝えていくための第一歩である。
 文化財といえば、田舎の無形民俗文化財ともいえるのが「ヤンキー」である。2014年、「ヤンキー」が生み出す文化遺産(と敢えて言おう)であるデコトラ、デコバイク、デコチャリ、学ランなどを一挙に展示したのが広島県福山市にある鞆の津ミュージアムであり、18はその図録である。これら機能性を無視した装飾過多は今にはじまったことではないことを栃木県民なら気づくはずである。そう、日光東照宮陽明門を頂点とするあの華美な装飾こそ、「ヤンキー」たちが今なお生み出しつづけ継承している精神の端緒である。
 日光東照宮といえば、機能主義の権化とも目されがちなブルーノ・タウトをして「いかもの」(キッチュ)と言わしめ、半ば唾棄されたといっても過言ではない。その精神は陽明門の装飾のみならず、日光に通ずる街道の宿場町に残されている。いわゆる「彫刻屋台」である。
 この屋台は、一昨年(2017)、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」のひとつとして登録された「鹿沼今宮神社祭の屋台行事」で披露され、ヤンキー風情の若者たちを中心とした鹿沼の人々の熱き血潮がゴシック彫刻を思わせる屋台とお囃子にこれでもかとまぶされている。なお、個人的には、鹿沼はヤンキーが栃木県内の他の市町よりもヤンキーが多いような気がする。またかれらは就職や進学で東京へ多く出て行くも、ある年齢になると鹿沼へ戻ってくる傾向が他の地域よりも多いような気がする。こうしたメンタリティーを象徴しているのが、ゴシック的彫刻屋台だと思っている。
 はからずも、18を読みながら、栃木県における日光へつながる街道筋の文化についてあれこれ考えを巡らせることができた。ちなみに、組版は結構甘かった。内容が素晴らしかっただけに、かえすがえすも残念である。
 
そんな訳で、4月は少し読書ペースは落ちそうな予感があるも、ここにしっかり書けるように読んでいこう。

★3月で面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら(その2)。

ヤンキー人類学-突破者たちの「アート」と表現

ヤンキー人類学-突破者たちの「アート」と表現

本書は地域表象文化論だと改めて思った。

花月漫読記(上)

 なんと、この「漫読記」を真面目に3カ月連続で書いてる!というか、備忘録的に書いているので、ちゃんと意識していれば書けることを改めて確認できた。さて前置きはこれくらいにして、早速列挙していこう(以下、著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社、発行年):読了日を明記)。

  1. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『水底の女』(早川書房、2017年):3月1日
  2. 黒嶋 敏『秀吉の武威、信長の武威』(平凡社、2018年):3月3日
  3. ゲンデュン・リンチェン 編(今枝由郎訳)『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』(岩波文庫、2017年):3月4日
  4. 樋口州男『将門伝説の歴史』(吉川弘文館、2015年):3月5日
  5. 本村凌二地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫、2017年):3月7日
  6. 望月昭秀『縄文人に相談だ』(国書刊行会、2018年):3月9日
  7. 斎藤美奈子文庫解説ワンダーランド』(岩波新書、2017年):3月9日
  8. 佐滝剛弘登録有形文化財』(勁草書房、2017年):3月10日
  9. 唐澤太輔『南方熊楠』(中公新書、2015年):3月10日
  10. 井波律子『中国侠客列伝』(講談社学術文庫、2017年):3月11日
  11. 中村和恵日本語に生まれて』(岩波書店、2013年):3月11日
  12. 平野 聡『大清帝国と中華の混迷』(講談社学術文庫、2018年):3月13日
  13. 水野一晴『世界がわかる地理学入門』(ちくま新書、2018年):3月15日
  14. 樋田 毅『記者襲撃』(岩波書店、2018年):3月18日
  15. 湯浅浩史『ヒョウタン文化誌』(岩波新書、2015年):3月18日
  16. 武井弘一『茶と琉球人』(岩波新書、2018年):3月20日
  17. 田中大喜『新田一族の中世』(吉川弘文館、2015年):3月25日
  18. 鞆の津ミュージアム監修『ヤンキー人類学』(フィルムアート社、2014年):3月30日
  19. レイモンド・チャンドラー(マーティン・アッシャー編、村上春樹訳)『フィリップ・マーロウの教える生き方』(早川書房、2018年):3月30日

マーロウ的精神を外部から眺めると(1・7・10・19)

 先月に引き続き、「マーロウ」ものを再読(1)。この作品はさほど評価が高い訳ではないものの、第二次世界大戦の影響が影を落とした暗い作品だ。とはいえ、いつものマーロウ節は健在。最近、そんなマーロウ(というか、チャンドラー)語録のアンソロジーが出版された(19)。正直、チャンドラー・ファン以外はあまり楽しめないような気もするが、「こんな一文あったけなあ」と己の記憶力を試すには楽しい一冊である。
 ところで、フィリップ・マーロウ・シリーズの最新訳は村上春樹氏であるが、ここでのかれの解説文とこれまた村上もチャンドラーも好きだったスコット・フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』での村上の解説文を論じているのが7だ。チャンドラーの『ロング・グッドバイ』はとりもなおさず、『グレート・ギャツビー』の優れた解説文という指摘だけでも、本書は読んだ価値がある。そして、『グレート・ギャツビー』での村上の解説は自分語りが多いという指摘も納得。そのあたりのムラというのが、村上が『グレート・ギャツビー』に並々ならぬ想いがあったことを裏付けているように感じてしまう。
 ちなみに、マーロウものを読んでいたら、なぜだか中国の侠客のことを思い出していた。なので一読したのが10。ここでいう「侠客」は正義を重んじる「義侠」をもった人々である。そうした侠客のタイプを歴史上の人物たち(主に司馬遷史記』にある「遊侠列伝」から)や文学上の作品から紹介している。マーロウもそうだが、侠客たちはそれぞれの論理で筋を通した生き方をしてきた。かれらはアウトロー故に勝者になることはほとんどなかった。けれども、その生き方は今なお多くの人たちを惹きつけている点で、人間の複雑多面な姿を考えずにはいられない。それは決して苦々しいものではなく、どこまでも儚く悲しいが、どこまでも清々しい。

世界史の扉を開く(3・5・12・13・15・16)

 どうして読もうと思ったか忘れてしまったが、古代ローマについては常に興味を抱いている。5は10年前に出たシリーズの文庫化だ。学術的かつ読み物になっているのは、ひとえに著者の熟練された文にある。ただしある程度の予備知識がないと面白くないかもしれない。
 熟練といえば、12での文章は素晴らしい。否、文章のみではない。著者の問題意識と過去のことを語りながら、常に現代を見据えているその姿勢が信用できる。そんな訳で、こちらも清朝期も常に興味を抱いている時代のひとつだ。
 清朝を語る上で忘れてはならないのは、チベット琉球王国との関係だ。前者はチベット仏教において、後者は「冊封」という関係でだ。3はチベットよりもブータンで今なお愛されている僧ドゥクパ・クンレーの言行録。性的に破天荒(と一般の人から見れば映る)ながら、彼の理屈と行いは崇高だが親しみを感じる。硬直した雰囲気が漂う今だからこそ、この手の書籍がもつ意味は重い。そして、数ある琉球王国に関する書籍でも、16は琉球の人々が愛飲していた「茶」の視点から、琉球王国に生きた人々を語った精神史的要素が強い一冊。鶴見良行の名著『バナナと日本人』が常に傍にあったのがよくわかる。
 こうした精神史・文化史的アプローチで面白かったのが15。「ヒョウタン」は昔話にもよく出てくるのだが、実物をちゃんと見た/触れたことがある人は決して多くないのではないか。それにあのフォルムになぜ惹かれるのか、遺伝子レベルであのフォルムを愛でるプログラムが組み込まれているのでは、と思うほどである。しかしながら、世界各地で利活用されているというのは、ヒョウタンが実に優れた植物であり、また人間と切っても切り離せない深い関係だという何よりの証左であろう。
 ヒョウタンに限らず、こうした植物や人々の営みを知る上で、新刊の13は入門書として最適な一冊。地理学と銘打ってはいるが、当然ならが歴史学文化人類学と重なる部分が多い。ある部分をただ知るだけでは、対象を見失うことを改めて痛感させられる。

日本を相対化する(9・11

 世界各地の歴史を見る(読む)ということは、とりもなおさず日本を相対化することでもある。そういう意味では、今なおその全貌をとらえきれていない世界サイズの人物といったら、まず南方熊楠に指を屈する。その生涯と彼の思想の一端に触れることができるのが9だ。森羅万象あらゆるものに興味を抱く中、熊楠が常に心にあったのは人のこころと菌類のミクロコスモス的世界だった。南方熊楠関連の書籍はそれなりに読んできたが、著者のスマートな著述に好感は抱きつつも、ちょっと物足りなさが感じられた。熊楠の森は上を見れば、こんもり茂った葉っぱと立派な枝ぶりで無限空間のように思えるが、それが熊楠の最大の魅力だと思っている。
 熊楠は複数言語を読み書きできたという人物だった。言葉はその地域を生きる人たちの文化そのものである。11は英語圏を中心に、中南米へと研究や旅で巡ってきた文学研究者であり詩人でもある著者のエッセイ。日本語を当たり前のように使っているが、その当たり前がひとたび崩れた時、僕たちが使っている日本語はどうなってしまうのか。著者の思いは静かだが、ふつふつと熱く、だからこそ取り上げている内容ひとつひとつが重みがある。とはいえ、エッセイなのでふわりとした軽さもある。軽さと重さのハーモニーこそ、著者最大の魅力だろう。(続)
 
★3月で面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら(その1)。

サブタイトルが「世界の本屋さんで考えたこと」がキモ。本屋さんこそ、その地域におけるあらゆる(いろいろな意味での)「知」の集積地なのである。

梅見月漫読記

 いつも三日坊主ならぬ一回坊主である小生が、2回目もこうして記すことにわれながら驚いている。そして、リズムをつくることの大切を実感している。いずれにせよ、2月はリズムをうまくつくれずにいたような気もしていると述べたところで、早速列挙していこう(以下、著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社):読了日を明記)。

  1. 都築響一『ヒップホップの詩人たち』(新潮社):2月3日
  2. 義江彰夫神仏習合』(岩波新書):2月5日
  3. 伊藤 聡『神道とはなにか』(中公新書):2月5日
  4. 芸術新潮編集部(編)『神々が見える神社100選』(新潮社):2月7日
  5. 本田不二雄『ミステリーな仏像』(駒草出版):2月11日
  6. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『プレイバック』(早川書房):2月20日
  7. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『リトル・シスター』(ハヤカワ文庫):2月23日
  8. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『高い窓』(ハヤカワ文庫):2月24日
  9. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『大いなる眠り』(ハヤカワ文庫):2月25日
  10. レイモンド・チャンドラー村上春樹訳)『ロング・グッドバイ』(早川書房):2月28日

 
 1は、小生の目標であり勝手にリスペクトしている著者の汗と情熱がいっぱいつまった素敵な一冊。内容は結構ヘヴィーなものもあるのだが、それがうまく読めるのは取り上げているラッパーたちと都築氏との距離感がなせた技なのだろう。
 2から5は、目下取り組んでいる仕事がらみで読んだもの。2はいささか難しいところもないではないが、神仏習合のポイントがわかりやすく書かれている。3と4は一度読んでいるのだが、3は途中で挫折して売却→また買い直すというわが黄金パターン、4は本書の出来のよさに嫉妬混じりで読んでいたので、内容がうまくわからないままだったので、関連仕事をはじめたのを機に再読。
 ところで、3の著者が終章末尾で次のように述べている。

現代の神道の信仰の姿が、一見素朴に見えたとしても、それは古代のプリミティブな自然崇拝の残存ではない。それは、中世・近世・近代における神道の形成・展開過程において、再解釈・再布置された結果として装われた素朴さであり「古代」なのである。なぜなら、仮構された〈固有〉性への志向こそが、神道の基本的性格なのだから。

僕はこの箇所を読んで衝撃を受けた。それと同時に、とても腑に落ちた。とりわけ、「仮構された〈固有〉性への志向」という言葉に、一種のファンタジーとしての神社、そして僕たちが今なお神社(御朱印)巡りの本質があると思っているし、人は「仮構された〈固有〉性」に心惹かれるのだから。
 5は昨年(2017)出版早々話題になった一冊。たまたま、今調べている神社が所有している文化財が掲載され、俄然興味を惹かれ購入。仏像の奥深さにくらくらしつつ、中身の濃さにお腹いっぱいになってしまった。
 6〜10は、毎年必ず再読しているチャンドラー。精神的に疲れて、心を無にしたくなり読みはじめた。毎回読む度に新たな発見があり、読んでいてワクワクしてしまう。そして、今回もじっくりゆっくり味わいながら読んだ。まさに至福のひとときだった。しかし、今回10を読んでいて、主人公フィリップ・マーロウの年齢がなんと小生と同じだったことに気づき愕然とした。オトナな印象を抱いていたから、自分がマーロウの年齢になっていて、そこからまったく成長していないなあ、と思ったからだ。とはいえ、10でのマーロウはいささか子供っぽい。これは悪い意味でなく、自らの信念を曲げずに愚かだとわかっていても突き進む姿に、多くの人たちを魅了してきたのだろう。せめて、小生もマーロウのような不器用だけど信念をもって生きたいと改めて思った。
 
 そんな訳で、3月もちゃんとここに書けるように読んでいこう。

★2月で面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら。

ヒップホップの詩人たち

ヒップホップの詩人たち

信念があるという点では、マーロウもラッパーの皆さんも共通している。だから面白い。

睦月漫読記

 2018年は、毎月末から翌月初にかけて、備忘録的にその月に何を読了したか書いておこうと思った。一応、読了した書籍については把握してはいるが、いかんせん可視化されていない。なので、書いておくのも悪くないなと思った次第。それでは、以下に列記しておこう*1

  1. ウィリアム・バロウズ中川五郎訳)『ジャンキー』(河出文庫):1月4日
  2. トム・ウェインライト(千葉敏生訳)『ハッパノミクス』(みすず書房):1月8日
  3. 千葉惣次(文)・大屋孝雄(写真)『東北の伝承切り絵』(平凡社):1月9日
  4. 岩鼻通明『出羽三山』(岩波新書):1月13日
  5. 佐藤良明『ビートルズとは何だったかのか』(みすず書房):1月14日
  6. 加藤郁美『にっぽんのかわいいタイル』(国書刊行会):1月21日
  7. 西部 邁『保守の真髄』(講談社現代新書):1月22日
  8. 佐藤 信(編)『古代史講義』(ちくま新書):1月24日
  9. コロナ・ブックス編集部(編)『日本の伝統色』(平凡社):1月25日
  10. 都築響一『独居老人スタイル』(筑摩書房):1月27日
  11. 佐々木マキ・小原 央明(編)『佐々木マキ』(河出書房新社):1月27日
  12. 東京大学史料編纂所(編)『日本史の森をゆく』:中公新書:1月29日

 
 1は、昨年末の地元の古書市で電撃的邂逅で即座に購入した古書。10年近く前に読んだ『麻薬書簡』(河出文庫)と併せて、ようやくバロウズ的世界へ行くことができた。それはなによりも、2が出版されたおかげかもしれない。こちらはおすすめ。人間の欲望を支えているのは、欲望の経済学ともいうべきシステムというのがよくわかる。義理人情の世界とはまた違ったドライだけど、どこか笑える(Thomas Pynchonが描く人間模様は、決してかれの妄想から出ていないリアリズムであるのがよくわかる)。
 3と4は仕事がらみで読んだ。信仰は身近だけど奥が深い。これまた、人間の多様な側面のひとつである。5は温泉入った後、なぜか佐野のKFCで一気呵成に読了。6はオールカラーの意欲作。著者のタイルへの深い愛情が感じられる良書。続編が出るとのことで鶴首して待ちたい。
 7は衝撃的な最期を遂げた著者の遺作(と思ったら、3月に平凡社新書で本当の遺作が出るとわかり早合点)。個人的には、やはり難しいというか相性が悪いと思ったが、著者の絶望と憂いはよくわかった。8はお世話になっている方から薦められた本。入門書として読みやすく、また各章末に文献案内があるのがよい。12も8と同じアンソロジー。常日頃から史料を扱っている研究者たちによる興味深いエピソードが面白い。中には、さらに読んでみたいと思わせるものもあり、新書版で1つあたり約7ページというヴォリュームがそうした思いをさらに募らせている。
 9は僕の好きな「コロナ・ブックス」シリーズ。先人たちの色認識の多様さにただただ驚くばかり。B5変形版というのは意外にも手に取りやすいのだ。10は、敬愛してやまない著者本。東京へ向かう電車の中で読了してしまった。独居老人をテーマにした書籍だが、僕は読みながら書籍づくりのことが頭から離れなかった(かれの書籍を読むと、常にそうなるのだ)。11は、講談社から刊行されている初期〜中期村上春樹の表紙絵を手がけていることで有名な佐々木マキを知る最適な1冊。ガロ投稿時代から、基本的にブレていないことがよくわかる。
 
 そんな訳で、2月はどんな書籍を読んでいるのだろう(って、目下も読み続けているのだが)。

★1月で一番面白かった(というか印象深かった書籍は)こちら。

ハッパノミクス

ハッパノミクス

装丁も内容も素晴らしかった!

*1:以下、著者(訳者・編者名)『タイトル』(出版社):読了日を明記