SIM's memo

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懐かしさを感じた本

 久しぶりに「懐かしい」と思えた書籍を読んだ。哲学者の國分功一郎氏と編集者で研究者でもある互盛央氏の共著『いつもそばには本があった』(講談社選書メチエ)である。
 何が「懐かしい」と思ったのか?それは、丸山圭三郎(1933-1993)の名前がいきなり出ていたからだ。丸山はスイスの言語学者ソシュールの研究者という顔よりも、1980年代から90年代はじめにかけて当代きっての言語哲学者だった。私は学生時代、丸山の著作に深く感化された。名著『文化のフェティシズム』(1984)を手にしてから、『言葉と無意識』(1987)、『言葉・狂気・エロス』(1990)を夢中で読んだ。そして、丸山の著書からフランス構造主義の人たち(とりわけロラン・バルト)を読み、井筒俊彦(1914-1993)の『意識と本質』(1983)を読んだ。何よりも、丸山の文章は彼が言及する著書や人物の書物を読みたくさせる魔力があった。
 また、互氏は懐かしい人物の名前も出してくれた。思想史家の生松敬三(1928-1984)だ。私が一番影響を受けたのは生松だと言える。彼のおかげ(せい)でドイツ思想史に深く沈むことになった。生松の代表作ともいえる『二十世紀思想渉猟』(1981)は、間違いなく私にとって青春の一冊である。とにかく文章がうまいし、登場人物たち(といっても哲学者や思想家やら藝術家などなど)が生き生きとしていた。そして、生松が訳した本(かなりの数である)にどれだけ恩恵を受けただろう。
 しかし、丸山にしても生松にしても(ちなみに、二人とも中央大学の先生だったので、私は中央大学大学院を受験した。事務室で待っていたその時、たまたまふらりと事務室へやってきた生松の盟友・木田元を見た時はなんだか感動した)、すでに二人とも鬼籍に入っていた。互氏や國分氏とはほぼ同世代(といっても、ちょっとだけ私の方が年齢は下であるが)であるが、二人の影響力は2019年現在よりも、まだまだあった。丸山や生松の書籍が今よりも簡単に手に入ったということが大きいだろう。しかし残念ながら、丸山も(2014年に岩波書店から著作集は出た)生松も忘れられてしまった人になりつつある。それもまた、著書が手に入りにくいということが大きいだろう(特に生松は)。
 
 二人の著書に感化されてから、そろそろ四半世紀が経とうとする。思想史の世界から離れて、どういう因果か、今は歴史についてあれこれ書いている。というよりも、ある地方の事象についての「精神史」を書いていると言った方がいいかもしれない。そういう意味では、私は丸山や生松の影をずっと追い続けていたのだろう。
 『いつもそばには本があった』は、それぞれの書籍が星座のごとく並んでいるという光景こそが、精神史の醍醐味であることを改めて思い出させてくれた。この精神史は日本において、1990年代に思想書などを読んできた人たちの精神史とも言える。そう思ったのは、きっと今が私にとっていろいろな意味での曲がり角にきているからなのだろう。

いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ)

いつもそばには本があった。 (講談社選書メチエ)