SIM's memo

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読書日記(1)

 ◯月◯日、西脇順三郎『野原をゆく』読了。70の坂を登ろうとする西脇が、戦前から戦後にかけてあちこちで書いてきた随筆をまとめたもの。「四季の唄」「私の植物考」「詩人の憂鬱」「漂泊」「永遠への帰郷」の5つのセクションに収められている。ちゃんど編集されている。中でも「四季の唄」は、西脇が昭和22年に発表した第二詩集『旅人かへらず』の背景がわかるような内容だ。解説を書いた新倉俊一によると、西脇はこの詩集で「主題としての自然を再発見」したという。西脇が「再発見」した「自然」とは、何も雄大で崇高で畏敬の念を抱くような自然ではない。もっと身近で、もっと僕たちに寄り添っている。

そこ(影向寺《ようごうじ》)を辞して山を下りまた山へのぼり、晩秋の香りをあびて、二人はアンパンをかじりながら歩いて暗くなってから日吉の先へ出た。もはや秋の七草の時ではない。ただ藪にはりんどうの花や、名の知れぬ赤い実ばかりで、すすきだけが白い穂をなびかしていた。そのすすきの美は特に淋しみであった。その日から、二人とも熱を出した。(「夏から秋へ」《昭和16年》)

 
西脇の詩にしても随筆にしても、基本的に「軽み」が漂う。そして自分(たち)と風景がひとつになりながらも、決して交わらない独特の緊張感を保ちながらゆらゆらと包み込んでいる。西脇の随筆や詩を読むときにいつも感じるのだが、心持ちが自由になる。それが西脇のユーモアと言語感覚がもたらす恵みだ。それは、かれがささやかな日常を大切にしていたからだと思う。

私はそば屋にはいって醤油くさいウドンをたべてから、レンギョウとボケの咲いている砧(きぬた)の村を過ぎ、太子堂の竹藪のなかを通って、三軒茶屋に出て、「リリー」というタバコを買って渋谷に帰った。
こんなつまらないことのほうが、人間という生物の地球上の経験として、私には相当重大な思出となろう。(「春」《昭和44年》)